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第二次世界大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/26 21:44 ID:8kpgIULk
ドイツ最大の盟友だったハンガリー、ルーマニアを中心に大戦中の
東欧の軍隊や兵器を語りましょう。
ポーランドやブルガリアなどもOKです。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/26 21:45 ID:A+c5eFHl
<`∀´>ニダ

3 :名無し三等兵:02/06/26 21:45 ID:???
2ゲッターイクナイ(・A・)

ハンガリー軍の本を買ったがロシア語で読めない

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/26 21:57 ID:???
ハンガリーはトゥラーンとか、ズリーニィとか結構好きなんだが。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/26 22:00 ID:???
「スターリソの外人部隊」つう本買いますた。


6 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/27 00:14 ID:???
そう言えば、去年の夏くらいに「ポーランドは強かったか」というスレが
ありましたね。

ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアの末期の戦闘機はBf-109だけど、
ポーランドのP.Z.L.24とかそれから派生したルーマニアのI.A.R.81、ハンガ
リーのRe-2000と言うのもなかなか味があって良い。
ポーランドの低翼単葉戦闘機は結局モノにならなかったけど、P.Z.L.50が
Re-2000みたいな機体だったな。

あと、ハンガリーの爆撃機、He-270とかJu-86、それにイタリア製のCa-135
と言うのもいかにも小国らしくて萌え。

ルーマニアは独伊と英仏のせめぎ合い。
ブレニム有り、S.M.79有り、He-111有り、Br.693…。

あと、それぞれ国産機も独特ですね。

7 :名無し三等兵:02/06/27 00:33 ID:???
ニムロード対空戦車モエ

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/27 00:50 ID:IM06MbHD
ゲームネタですまそだが、大戦略でイタリアよりルーマニアの方が強かった。。。

9 :名無し三等兵:02/06/27 01:10 ID:???
>>8
流石イタリア(w

10 :名無し三等兵:02/06/27 18:50 ID:lERABqZE
駆逐艦を強いとか弱いとか、書くと笑われるかもしれ無いけど、
ポーランド海軍が戦間期に保有したグロム級はあの手のマイナー海軍の
持った艦としては破格なくらい高性能な艦だったと思う。

イギリス製なんだけど速力は39ノットを誇る(その代わり、航続距離は3573浬)
装備はころころ変わったみたいだけど船体がトライバル級より大きいので
装備はいつも充実していた。

2隻建造されるんだけど、2隻ともポーランド降伏後イギリスに逃亡、
その後ネームシップのグロムはあっさり沈むんだけど、
同型艦のブリスカヴィッツアは終戦まで生き延びその間に、
ZH1、Z32及びドイツの哨戒艇を撃沈。
1976年に退役するんだけど、退役後はミュージアムシップに・・・。

11 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/27 23:27 ID:???
>10
ポーランドは後、フランスはCNF製のWicher級を保有してましたね。
潜水艦もフランス製のWilk級3隻、オランダ製のOrzel級2隻と結構
バランスが取れた海軍力を有していましたな。

Orzel級のSepは1977年まで生き残りましたね。
発展型がフランスに発注されたけど、フランス崩壊で破壊されたし。


12 :名無し三等兵:02/06/28 00:53 ID:???
>11
ポーランド海軍って今にして思うと、歴史とか浅いわりにはよく活動しましたよね。
開戦直前に駆逐艦三隻を、バルト海で戦わせるためイギリスに送り出したり。
個艦に限ってみても、駆逐艦Orzelとか潜水艦Wilkとかよくイギリスに脱出しましたね。

13 :13:02/06/28 00:57 ID:???
ごめんなさいOrzelは潜水艦ですね

14 :名無し三等兵:02/06/28 20:39 ID:ZUYtGftM
すいません。自由ポーランド軍に関して質問があるのですが。
http://www.st.rim.or.jp/~kishimot/french.html
このサイトにフランス戦艦パリが亡命ポーランド海軍に宿泊艦として使われたとありますが。
宿泊艦とはどのような物なのかイマイチわかりません。
(戦闘とかは無さそうですけど)具体的にどのように使われたのか、
この場合の所属は(自由)フランス海軍か(自由)ポーランド海軍かそれとも、拿捕したイギリス軍なのか知りたいのですが。


それと光栄から出ている艦船名鑑にイギリスから巡洋艦を貸与されたというような記述があるのですが、
具体的にどのクラスのどの艦が貸与されたのか興味があるのですが。
どなたか教えて下さいませんか?

15 :名無し三等兵:02/06/28 20:45 ID:nwmHzPaJ
ポーランドって地理的に不利だっただけで、
当時としては結構軍事大国だったようだ

16 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/28 21:59 ID:???
>14
宿泊艦は、文字通り水兵のためのホテルとして使われた物もあるけど、確か
水兵の養成のために、港に停泊してシーマンシップの基本を教えるための艦
と言うのもあったと思う。
これは兵学校で教育を受けて、即実戦艦艇に配属する訳ではなくて、港に繋
留されている状態の旧型艦で、まずはホースの使い方とか、缶の調整などの
基本を学び、それから実戦部隊に配属する為の過程を練習する艦でもある。

ポーランドの場合、海軍の兵や海員はそのままパリを根城にドイツとの戦いを
行ったのだろうが、亡命してきた民間人の志願者がまず教育を受けた所でも
あったのではないだろうか。

で、後段の質問ですが、1943.1.15にD級の軽巡洋艦"Dragon"が引き渡されて
います。
これは、1944.8.7にNormandyでNeger人間魚雷の攻撃を受け、大破、橋頭堡付
近で座礁してしまいました。
これの代わりに、1944.10.4に同じくD級の"Danae"が引き渡され、"Conrad"となり
ました。
こいつは、1946.9.28に英国に返却されるまで、ポーランド海軍に在籍しています。

蛇足ですが、後亡命ポーランド海軍に貸与されたのは、G級の駆逐艦"Garland"、
旧フランスから英国が接収した駆逐艦"Ouragan"…こいつは41年に自由フランスに
引き渡されていますね。
それから、N級の"Piorun"、M級の"Myrmidon"(Orkan)…後者は43年に大西洋で
撃沈されました。
あとはHuntII級が3隻あります。

更に旧米艦のS25潜水艦が英国経由で"Jastzab"となり、U級の潜水艦二隻が、
引き渡されています。

結構、亡命海軍の人的資源は豊富だったと言うべきでしょうか。

>15
何しろ、中世にはロシアを膝下に置いていた国ですからね。
1920年にソ連と戦争して勝ってますし。

17 :名無し三等兵:02/06/29 00:19 ID:???
ポーランド空軍は9月17日、ソ連のポーランド侵攻を受けて、
政府と一緒に全稼動機をルーマニアに脱出させているけど、
これもあきらめた訳では無く戦い続ける為の方策と云う事か。

18 :名無し三等兵:02/06/29 05:07 ID:e/HOu3EN
ポーランドは当時世界第2位の装甲列車保有国だったらしい。
ちなみに第1位はソ連。

第二次世界大戦初期の紙のようなドイツ戦車を結構破壊している。

19 :名無し三等兵:02/06/29 05:48 ID:HSSYBQaE
ウヨHPで泰政会とかいうの  bbsで荒らしたやつに爆弾攻撃といってオソロ氏

20 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/29 15:12 ID:???
>17
ま、その後、フランス、英国で亡命空軍と亡命海軍が戦ってますね。
ただ、戦後はゴタゴタあったみたいですが。

>18
それは初耳です。
ただ、コーエーの電撃戦の本(何時になったらその2が出るんだ?)には、
シュコダの装甲列車が掲載されていますね。

>19
誤爆?

21 :名無し三等兵:02/06/29 16:09 ID:???
ギリシャ海軍の艦船がインドで修理しているのに、ちょっとビックリ。
よく考えてみれば、スエズ運河を使えばそんなに距離はないのか。

22 :名無し三等兵:02/06/29 21:53 ID:eX+dB/KV
東欧で海軍を持っていたのは、ポーランド、ルーマニア
あとギリシャ、ユーゴスラビア(ここら辺も東欧だよね)ぐらい?
ポーランドは実力はともかく海軍はこじんまりしていますね。
この中ではギリシャ海軍が大きめ?
でも仮想的のトルコ海軍相手だとつらそう。

23 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/30 00:09 ID:???
>22
う〜ん、ギリシャは東欧には入らないと思うけど。
それなら、バルト三国も含むんじゃないかな。
ま、いいや。

エストニアは、旧ロシア帝国の駆逐艦を引き継いで使ってましたが、これを
1933年にPeruに売却されていますね。
代わりにヴィッカースに潜水艦を発注しています。
一隻は撃沈されましたが、もう一隻のLembitはソ連時代を生き抜き、
1979年に記念艦になっています。

ラトヴィアはフランス製潜水艦が二隻、これらは自沈。
リトアニアは海軍に金がかかっておらず哨戒艦のみ。

チェコスロヴァキアは、河用砲艦1隻の他は小型艦艇だし、ハンガリーも似たようなもの。
ブルガリアは意外なことに海に面していながら、海軍には魚雷艇とか砲艇、哨戒艇しか
保有していない。

ルーマニアは小型偵察巡洋艦Marasti級を二隻保有していた。
実質は駆逐艦だけどね。
後はイタリア製のRegele Ferdinand級駆逐艦が2隻、イタリア製潜水艦が3隻+潜航艇が
2隻とそこそこ有力。

ユーゴスラヴィアは最大の艦艇が旧ドイツの軽巡洋艦Niobeで、Dalmacijaと改名して練習艦
として使用していた。
本当はオーストリアハンガリー二重帝国海軍の艦艇、特に弩級艦を欲しがったらしいが、イタ
リアの横槍で頓挫した。
てなわけで、英国に大型駆逐艦Dubrovnikを発注し、それを旗艦としてフランス製Beograd級
駆逐艦を3隻、潜水艦は英仏それぞれ二隻ずつ保有。

24 :18:02/06/30 00:28 ID:1rdYmrjj
>>20
装甲列車に関しては軍事板壊滅前にあった装甲列車スレで紹介されていたホームページで詳しく解説されています。
正確には軍籍に無い装甲列車まで入れるとドイツの方が戦力は上だったみたいです。
http://blinda.hoops.livedoor.com/

あと下のページによるとポーランドには装甲列車が現存しているみたいです。
(一応写真がのっているのですが、当方装甲列車には詳しく無いのでポーランド製の装甲列車かどうかは分かりません。)
http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/cafe/tnaka1.htm

25 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/30 00:31 ID:???
>23の続きだけど。

そう言う意味では、ポーランド、ユーゴスラヴィア、ルーマニアが一番
バランスが取れている海軍と言えるでしょうね。

ギリシャはトルコが仮想敵ですから、もそっと軍備は充実していまして、
前弩級艦ですが、米国のMississippi級戦艦2隻をKilkis、Lemnosとして
保有しています。
両方とも、スツーカに撃沈されましたが。
本当はドイツに超弩級戦艦Salamisを発注していましたが、戦争勃発で接収
されました。(砲塔が米国製だったので、完成できませんでした)
フランスにもProvence級を発注しましたが完成せず。

巡洋艦は2隻、と言っても1隻は装甲巡洋艦、もう1隻も防護巡洋艦です。
一隻はGeorgios Averoffで、1910年のイタリア製。
ある大金持ちからの献金で建造されたもので、この人の名前が艦名に
なってます。
こいつは大戦を生き抜き、地中海、大西洋で活躍しました。
もう一隻は清国の注文流れのHelle。
これは1912年に米国で完成したものの、革命で引き取れず、1914年に
ギリシャが買い取りました。

駆逐艦はイタリアのFrecciaをタイプシップとしたYdra級4隻、英国G級を
タイプシップにしたVasilefs Georgios級2隻があり、潜水艦はフランスの
Circe級をタイプシップにしたKatsonis級2隻とその発達型Proteus級4隻が
ありました。

対するトルコが、巡洋戦艦1隻、旧式巡洋艦2隻、イタリア製駆逐艦4隻と、
英国製駆逐艦が3隻、ドイツデザインの小型沿岸潜水艦が2隻と、中型〜
大型潜水艦が5隻、イタリア製潜水艦が2隻、英国製潜水艦が4隻と、両国
でバランスが取れていますな。

26 :名無し三等兵:02/06/30 03:43 ID:???
むぅ東欧からは外れるけどギリシャ、トルコは案外あなどれない戦力を持っていますね。
並べてみるとお互いを意識して海軍戦力を構築していたのが分かる気がする。
ユーゴスラビアがオーストリア艦を手に入れようとするのをイタリアが妨害しようとするのは当然ですね。
イタリアにとっては死活問題でしょうから。

関係ないですけどハンガリーの摂政ホルティはオーストリア=ハンガリーの
提督だったそうですね。

27 :名無し三等兵:02/06/30 07:44 ID:???
Dubrovnikはチェコ製シュコダ14cm速射砲が、ちと萌える。
色々と使いづらそうな艦だけど…。
にしても、ユーゴスラビア海軍は殆ど役に立たなかったような…。
一応魚雷艇2隻と潜水艦1隻が連合軍側に脱出したけどこれも目立たなかったし。
自沈もせずイタリア海軍に艦艇を貢いだ印象しかない。
こんな規模の小さな海軍にイタリアやドイツ相手に張り合えというのが無理な話なんだろうけど。

28 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/30 11:14 ID:???
>24
紹介多謝。
一瞬除草ページかと勘違いするんですが…。

ま、固定した地点を移動する装甲列車よりも、移動地点を自由に選べる
戦車、装甲車の方が使い勝手は良いのでしょうけど、陣地戦を想定して
いたのなら、特火点としての装甲列車は結構有効だったのでしょうか。
後、ドイツよりもソ連の脅威の方が大きかったんでしょうなぁ。

>26
二度にわたるバルカン戦争を戦った割にはブルガリアの海軍力がたいした
こと無いのは国力が無い所為なのかな、と言う気がする。
ギリシャとトルコは、南米のABC三国のような関係を今も続けているので、
未だに片方が何かアクションを起こすともう片方がそれに応じたアクション
を起こしてますな。

ホルティ・ミクローシュと言えば、小話集に、第二次世界大戦の宣戦布告書
を受け取った際のローズベルトの言葉がよく持ち出されますな。

国務長官:「大統領、ハンガリー王国から宣戦布告です」
大統領:「ハンガリー?国王は誰かね?」
国務長官:「いえ、摂政です」
大統領:「ああ、摂政か。で、国王は誰なんだ?」
国務長官:「いえ、国王はおりません」
大統領:「え?じゃ、摂政は誰かね」
国務長官:「ホルティ提督であります」
大統領:「提督?ハンガリーの海軍力は相当なものだな」
国務長官:「いえ、海軍はありません」
大統領:「国王もいないのに摂政がいて、海軍もないのに提督がいる、なんて国なんだ」

てな感じ。

29 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/30 11:24 ID:???
>27
シュコダの大砲と言えば、オーストリア・ハンガリー二重帝国の弩級艦は
三連装砲塔搭載ながら、揚弾機が二基しか無いので発射速度はたいした
こと無かったと言う話を聞きますね。
矢張り、陸軍国の火砲で、海軍の火砲としては性能はどうだったのでしょう。

ユーゴスラヴィアと言っても、第一次大戦直後は、元々セルヴォ=クロアト=
スロヴェーン王国と言う、セルヴィア人、クロアチア人、スロヴェニア人の連邦
王国でした。
それを1927年だったかに、当時の国王が強引にセルヴィア人主体の中央集権
国家に持っていったので、国内にはセルヴィア人に対する怨念が生まれ、国王
暗殺(確かクロアチア人だったはず)とか情勢は混乱し、ナチスにつけいる隙を
与えました。

海軍と言っても、内陸国家のセルヴィア人に軍艦が弄れるわけも無く、クロアチ
ア人、スロヴェニア人と言った二重帝国海軍の元軍人が主体。
となると、セルヴィア中心主義の中央政府より、オーストリアを併合したドイツに
靡くのは当然。
しかも、クロアチア人は独立という餌を与えられていますから、海軍が消極的な
のは仕方ないのではないでしょうか。

30 :名無し三等兵:02/06/30 21:20 ID:tJX4Rpmj
>>28の小咄を見てちょと笑った。

国王がいないのに摂政がいるといういう状況を聞いて指輪物語を思い出してしまった。
まあ中世のヨーロッパ辺りでは、珍しくもなさそうですけど。

ハンガリーは元々農業地域ですっけ・・・。
オーストリアからの独立した国家の中ではチェコが一番いい部分をもらったのかな?
工業地帯を貰ったしシュコダとか、CKDを手に入れることが出来たし。
けどランツベルク(実はドイツ系の資本で運営)のL−60の武装をハンガリー風に変えトルディーとして採用したり、
同じくランツベルクのL−62を改良しニムロードとして採用したり、
チェコスロバキアのシュコダ社のT−21を改良した戦車をトゥランとして採用したり、
挙句の果てにはズリーニィだのを開発したりハンガリーも工業力の無いなりに結構色々頑張りましたね。
あとはチャバ装甲車とかありましたっけ。
個人的には東欧系の国家の陸軍としては、ハンガリーが一番面白いです。
独自の兵器が面白いし。
多少〜とはいえ、ドイツ戦車もまわしてもらえましたし。
(そもそもドイツがハンガリーに充分な戦車をまわすだけの力があれば、こんな苦労しなかったんでしょうけど)

蛇足ですが、たしかハンガリーが連合国と単独講和を試みた時のドイツがホルティを捕らえる為立てた作戦が
「ミッキーマウス」作戦とかいった記憶が・・・。

31 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/30 21:57 ID:???
>30
ハンガリー…と言うよりマジャールの方がしっくり来るな。

国王はハプスブルク家を復辟させようとして空位にして待ってたんですな。
ただ、チェコ、オーストリアなど継承国家が、ハプスブルク家のハンガリー王位
に挙って反対したので、結局空位のまま終わってしまった訳です。

で、そのマジャールですが、日本と似たようなもんです。
農業+軽工業の国。
しかし、クライナ、クロアチア、トランシルヴァニア地方、スロヴァキア地方を敗戦で
割譲したために、市場が無くなって(周りは全部敵国だし)、国としてマズーな状態に
なったため、遅ればせながら重工業化を進め、第一次大戦前からブダ=ペシュトに
あった鉄道車両メーカーのマンフレート・ヴァイスを中心に育成してきました。

トルディや、ニムロード、ズリーニィと言った装甲車両の開発、38(t)戦車と車
台の生産、Re-2000、後にはMe-210の生産が全てこの会社が一手に握って
ました。
戦後もチェコ向けのSD38、スイスのG13と言うヘッツァーの海賊版を生産してた
りしてますね。

32 :名無し三等兵:02/06/30 22:49 ID:???
>31
Re-2000はマズーだなぁ。
風洞試験すらしてないらしいし、飛行試験もおざなりだし。
胴体が短すぎて飛行特性最悪なんだっけ。
イタリアには他にもっとマシな機体がいくらでもあるだろうに。
Me210も機体の操縦性、安定性、その他問題続出。

33 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/06/30 23:58 ID:???
>32
え〜と、確かにそうだけど、背に腹は代えられないのではないか、と。
ま、原型はP-35ですから、そんなに怪しい機体でもないのでは?

爆撃機は更に危ないカプロニのCa-135ですし。
あ、そのほかにC.R.42も装備してました。
Re-2000はエンジンをノームローン14に換装し、機銃を国産に換えているので、
さほど酷くはなかったんじゃないでしょうか。

で、各国の主力戦闘機を見てみると。

ポーランドが、国産のP.Z.L. P.7(これは練習戦闘機)、P.11c(主力戦闘機)で、
低翼単葉戦闘機の試作は空冷派(ブリストル マーキュリー→セントーラス)と
液冷派(イスパノスイザ)が対立、混乱し、P.50は1939年に初飛行するものの、
試作中止。
フランスから、M.S.406の導入を図るも時間切れ。

チェコスロヴァキアは、これも複葉戦闘機のB.534が主力。
単葉戦闘機として低翼単葉固定脚のB.35を試作したが、併合で時間切れ。

ルーマニアは、ポーランドから技術導入した高翼単葉のP.Z.L.P.24をライセンス生産し、
それを低翼単葉引込脚化した、I.,A.R.80/81を開発。
但し、主力戦闘機としては、ハリケーンMk,IとHe-112を保有。
後は、供与されたBf-109Gで補完。

ブルガリアは、同じくP.Z.L.P-24を保有し、後にドイツに併合されたチェコからB.35の引込脚
型、B.135を保有。
後でドイツから申し訳程度にBf-109Gとフランスから分捕ったD.520が引き渡される。

ユーゴスラヴィアは、国産のイカルスIK-2と英国製Fury戦闘機。
その後、ハリケーンMk,IとBf-109Eを装備、そしてそれを徹底的に調べて、IK-3戦闘機を
開発、装備しています。
IK-3はトルコも一時期購入交渉を勧めていました。

34 :名無し三等兵:02/07/01 00:30 ID:???
マジャール(ハンガリー)人はモンゴロイド系の末裔なのが好感が持てる。

35 :Su-47信者(狂信的):02/07/01 09:37 ID:???
でも見た目ははまったく白人という罠
東にいけばスラブ人、西にいけばドイツ人顔の人たちが住んでます。
大昔の貴族の墓からはモンゴロイドの特徴を持った骨が出ています。
でもそういう墓はルーマニアなんかの国外にあることが多いので
調査させてもらえません。
蒙古斑らしきものは1000人に一人ぐらいしかついていないそうです。

ところでハンガリーの戦艦イシュトバーンについてご存じの方いらっ
しゃいますか。ハンガリーが第一次大戦時に唯一保有していた戦艦で
クロアチア王国(当時はハンガリー国王が兼任)の港フィウメに停泊
していたが、オーストリア・ハンガリー崩壊でクロアチアに引き渡される
ごたごたのさなか撃沈されたとかいうハンガリー史上唯一の戦艦です。

36 :名無し三等兵:02/07/01 18:25 ID:???
>35
Viribus UnitisクラスのSzent Istvan(イシュトバーン)の事でしょうか?
世界の艦船の近代戦艦史に載っている程度の事しか知らないですけど・・・。
とりあえず、Viribus Unitis、Tegettoff、Prinz Eugen、Szent Istvan
の四隻が存在したみたいですね。
セルビア青年に暗殺されたフェルディナント皇太子がこれらの艦の建造に尽力したみたいです。

常備排水量 21,730トン
全長 152.2m
幅 27.3m
喫水 8.3m
主機 蒸気タービン2基、4軸(Szent Istvan2軸)
出力    26,400馬力
速力 20ノット
主兵装   30.5cm3連装砲4基、15cm単装砲12基、7cm単装砲18基、53.3水中魚雷発射管4門
装甲    水線280mm、甲板48mm
乗員 1,087名
ごめんなさい世界の艦船から丸写しですから、この程度の事なら知っていたかも(汗
それとこのクラスのイシュトバーンは
「1918年にオトラント攻撃に出動中ポーラとザラの中間でイタリアのMASの雷撃を受けて沈んだ」
とあるので別のクラス?
>眠い人さんあたりなら詳しい事知っていそう。

>>23のユーゴスラビアが欲しがった弩級艦というのもこのクラスのTegettoffの事ですね
>>29で出ている
「シュコダの大砲と言えば、オーストリア・ハンガリー二重帝国の弩級艦は
三連装砲塔搭載ながら、揚弾機が二基しか無いので発射速度はたいした
こと無かったと言う話を聞きますね。」
この話とかもViribus Unitisクラスの事ですよね。

それにしても
Viribus Unitisはイタリア海軍士官の仕掛けたリンペット機雷により爆沈
Szent IstvanはイタリアのMASで
Tegettoffは結局賠償艦としてイタリアに引き渡された後、解体。
イタリア侮り難し。

37 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/01 23:28 ID:???
>35
マジャール人は日本人みたく、姓を先に、名を後に表記しますね。
ミクローシュ・ホルティをホルティ・ミクローシュという風に。
こう言う所、日本人的で漏れは好きなんですよ。

さて、>36氏が既にSzent Istvanにつきましては詳しく書かれておりますので、
性能云々はそちらに譲ります。
(後にも先にも、Szent Istvanと言う名前の艦はこれしかないですし)

1908年にイタリアの弩級艦に対抗するために建造が決定し、3200万クローネ
の巨費を投じて仮称艦名IV〜VIIとして建造したものです。
最初の三隻はSTTで建造されましたが、Szent IstvanだけはフィウメのDanubius
で建造されました。
で、その三隻は1915年にイタリアを沿岸砲撃しますが、後は引きこもっています。

Szent Istvanは1915年12月13日に竣工しました。
その前にイタリアが参戦し、船台の近辺で戦闘が行われたと記憶しています。
その生涯は儚く、そんなに活躍しない内に1918年6月10日にイタリアのMAS15の
魚雷攻撃でプレムダ島近辺で撃沈されました。

このほかの同型艦はViribus Unitisが1918年1月11日にオトラント海峡で触雷、
Printz Eugenは、1919年に賠償としてフランスに引き渡され、ツーロンにて水線下
での爆破試験、航空機からの爆撃実験などに使われ、1922年6月28日にBretagne、
Jean Bart、Paris、Franceの弩級諸艦の実艦的として撃沈されました。
なお、Prinz Eugenの武装はツーロンで撤去され、その砲はフランスの沿岸要塞砲と
して使用されたと言われています(後に、ドイツが大西洋の壁に転用したとか)。
Tegetthoffはイタリアに賠償として引き渡され、1925年にラ・スペツィアで解体されて
います。

ちなみに、排水量を増やし、35センチ砲を搭載した拡大型が、1917〜19年にかけて
竣工する予定でした。これが仮称艦名VIII〜XIです。

ユーゴが欲しがったのは、Prinz EugenとTegetthoffですな。
ま、マキャベリの国ですから。

38 :名無し三等兵:02/07/02 00:29 ID:U9sHJE4F
>>31-33
クローシュ・ホルティ提督の息子のイシュトバーン・ホルティ中尉も
Re-2000(Heja.I)のパイロットでしたね。
残念ながら戦果もあげないうちに戦死してしまいましたけど。(生涯撃墜数未確認1)
C.R.42・・・複葉戦闘機としては、最強クラス?
まあ複葉戦闘機としては作られた時期が遅いですからね。
I-15、I-16が相手ならなんとか有利に戦えそう・・・。
でも南国イタリア生まれの機体に東部戦線はつらそう。

ポーランドのP.11c・・・高翼式が印象的な機体ですね。
日本にも昔、高翼式の単様戦闘機がありましたけど
1939年当時になってまで戦闘機で高翼式を使っていたのはポーランドくらい?
双発のP.37はポーランド空軍の中では洗練されていましたね。
矢張りスペック的には少し悲しい出来ですけど。
せめてもう少しましなエンジンを使わせてあげたいとか思ってしまった。
第一線の戦闘機が全て全金属製単葉戦闘機になったのは
ポーランドが世界で一番早かったというのを聞くと
ポーランドはやはり侮れない力を持った国家だったんでしょうね。

Bf-109に出番を奪われたHe-112をルーマニア空軍が使っているのにはちょっと嬉しいですね。
第二次世界大戦以前に作られた戦闘機としては、洗練されているほうですし。
He-112に関してはハンガリーも1939年にBf-109Eを3機とともに13機購入していますね。

39 :名無し三等兵:02/07/02 00:55 ID:GiivOvyb
ウスタシャ、チェトニクとかに詳しい人っているのか? 

40 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/02 08:06 ID:???
>39
ウスタシ、チェトニクに関しての研究は多分まだ緒に就いたばかりでしょうね。

ティトーの旧ユーゴでは民族の融和を乱す負の遺産として、目の敵にされ、
国外に於いても、ナチに協力したものとして、かなりの偏見で見られましたし。
ウスタシは独立後のクロアチアで、良くも悪くも研究が始まっているようですが、
チェトニクはどうなのかなぁ。

日本の場合、ティトーマンセーな人が多いからねぇ。
研究書も無いし、何よりもオックスフォードの歴史書でもあんまり触れられて
いない分野ですしね。

41 :名無し三等兵:02/07/02 13:10 ID:???
チェコスロバキアは軍用機関係が弱いのは不思議だ。
拳銃だの砲だの戦車だのとかは一級品なのに。
何で出遅れたんだろ?

42 :名無し三等兵:02/07/02 13:49 ID:LPhDD4DG
レスありがとうございます。ウスタシと発音するんですね。
現代のセルビア右翼はチェトニクをどう思ってるんだろうか。

それと、武装親衛隊の回教徒クロアチア人師団(13師団)編制は、
カソリック国クロアチアの少数派をナチが煽ったという認識でOKですか?

質問厨で申し訳ない。

43 :名無し三等兵:02/07/02 16:06 ID:???
ZB26はダメか?

44 :名無し三等兵:02/07/02 23:30 ID:EPSkKy32
>>43
チェコのシュコダ社の軽機関銃ですね。
ガス利用式で機械的な信頼性が高く故障し辛かったんですっけ?
で、軽量で威力もあると。
世界中に輸出されていて、中国の軍閥が利用していたものを日本陸軍が鹵獲したりもしていましたね。
そしてイギリスと日本はこれを参考に軽機関銃を作ったりもしていたと。
火器の類もOKでは?

45 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/03 00:07 ID:???
レスが遅れて申し訳ない。
後、二日…此処を越えれば何とか…なるかな。

>38
P.Z.L.の高翼戦闘機系列は元々、フランスのウィボー戦闘機から発展した
ものです。
そのライセンスを買って、全木製構造の角形断面の胴体を金属外板の波板で
覆った丸形断面の胴体として、イスパノスイザ液冷エンジンを搭載したのが、
ポーランド初の「国産」戦闘機となったP.1戦闘機。
それから、低空性能を重視して、空冷のノーム・ローンエンジンを積んだP.6と、
ブリストルジュピターを搭載したP.7が競争試作され、P.7が採用されて、30年代
初頭の主力となります。
それを更にマーキュリーに換えて各部を改良して洗練したのが、P.11です。

この後、低翼単葉戦闘機としてP.50が開発されますが、失敗作で、液冷エンジン
を搭載した機体を試作する予定でしたが、大戦に間に合いませんでした。
P.50が失敗したため、出力を1.5倍のマーキュリーVIIIに換えたP.11gが試作された
わけです。

第二次大戦で高翼単葉戦闘機を第一線に配備していたのは、ポーランドとその
機体(P.24)を購入した、ラトヴィア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、トルコが
あります。
あと、フランス海軍とスイスががドボアチンD.376を保有していました。

46 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/03 00:23 ID:???
>41
チェコスロヴァキアについては、Aero、Avia、Letovが三大メーカーでした。
これらのメーカーは今でも残っているんじゃないかな。

当時のチェコスロヴァキアの主力戦闘機、AviaB.534戦闘機はチューリヒの
国際戦闘機飛行競技会で、Bf-109Bを破って、優勝したんじゃなかったかな。
相当な実力はあったわけですな。
1938年当時は低翼単葉戦闘機のB.135を製作していました。
これは時間切れでしたが、併合で浮いた物は、ブルガリアに引き渡されました。

B.534とB.135は第二次大戦中、プロエシュチ油田を爆撃する米爆撃機の迎撃に
も当たったようです。

AeroのA-100軽爆撃機、LetovのS.231戦闘機は、スペイン内戦で人民戦線側に
引き渡されて活躍したようです。
尤も、これ自体はソ連の機体に隠れて目立ちませんでしたが。
ちなみに、チェコスロヴァキア空軍の爆撃機に関しては、重爆こそフランスの腐った
ようなBlochM.B.200(高翼単葉固定脚)ですが、その後近代化され、軽爆には、ソ連
で開発されたSB-2を、AeroB.71としてライセンス生産していました。
ソ連の爆撃機が国外で採用されたのはこれが初めてでした。

>42
武装親衛隊に関しては申し訳ない。
漏れはその辺弱いのよ。(講談社メチエ新書の武装親衛隊に書かれていた
かもしれないけど、まだ積ん読リストに載ってる)

チェトニクに関しては、セルヴィアが民族浄化をする際に意図的にチェトニクの
功績を称えたと言う話があるようです。
従って、相当親近感を覚えている可能性はありますね。

47 :名無し三等兵:02/07/03 04:30 ID:???
ポーランドは実は軍用機の輸出大国?
高翼単葉戦闘機が当時もまだそんなに使われていたとは驚いたけど。
大戦初期には複葉戦闘機がまだまだ現役だった事を考えると不思議じゃないのかな?

48 :名無し三等兵:02/07/03 14:42 ID:3efYYZbR
>>46
サンクスです。
ちと検索したところ、ドイツのティトー暗殺作戦にウスタシとチェトニクが
参加していた、なる情報が。
バルカンは謎が多すぎ。

49 :名無し三等兵:02/07/03 14:45 ID:T3D5P+39
ユーゴの戦争映画、面白いよ。

50 :名無し三等兵:02/07/03 19:02 ID:???
タス重戦車ってのなかったっけ?
どっかで聞いたような気がするんだが。

51 :名無し三等兵:02/07/03 20:50 ID:???
>50
44Mタス重戦車はハンガリーが自主開発していた38トン級の重戦車で
武装は75mm砲と8mm機関銃2挺。
乗員は5名を予定していましたが
開発していたヴァイス・マンフレート社の工場が
44年7月27日にアメリカ軍の激しい爆撃に晒された際
開発中だったタスのシャシーが完全に破壊されてしまった為開発中止になってしまいました。

52 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/04 00:29 ID:???
>47
ポーランドは、東欧の航空大国ですし、航空機を作っている国の中でも先
進国と言えましょう。
全世界に売られたわけではありませんが、P.Z.Lは東欧諸国、南欧諸国御
用達の航空機輸出メーカーです。
東欧に自国の機体を売っているからこそ、ポーランドが崩壊して、各国に
機体が脱出しても、その機体がすぐに戦力化できた訳です。

まぁ、航空大国を自称していたイタリアでさえ複葉戦闘機が主力だったことを
考えると、妥当な発展かも知れませんが、国産初期の頃にフランスの影響が
強かったことが一連の高翼単葉戦闘機の発展を促したのではないでしょうか。

>48
ティトーは、ソ連と英国の支援を受けてパルチザンをやっていましたが、ユーゴは
一つという信念の持ち主でした。
ただ、連合国の支援自体は当初チェトニク中心だった。

で、ウスタシはクロアチアの独立を何としても維持したいと考えていました。
他方、チェトニクは初めこそパルチザンと協調して、ドイツとウスタシに敵対していた
ものの、根が王党派ですから、共産主義を標榜するティトーのパルチザンとは互い
に相容れない物がありました。

いわば、自由フランスとフランス共産党みたいなもの。
しかも、ティトーの方が人気、実力もあり、チェトニクはじり貧でした。
そこで、手をさしのべたのがイタリアとドイツ。
ドイツはティトーを亡き者にすることで、パルチザンを壊滅させようとしました。
此処に三者の利害が一致し、チェトニクは矛を逆しまにしてパルチザンに
襲いかかりますが、失敗して、王党派は地歩を失ってしまいました。

>49
パルチザンとチェトニクの戦いを描いた映画を昔、UHFの昼の映画で見た
覚えがあったなぁ。

53 :48:02/07/04 01:54 ID:lsTTIgzY
なるほど、チェトニク下手うちすぎ。
仁義なき戦いバルカン死闘編って感じですな。

49の映画は「ネレトバの戦い」とかいうやつでは。
千葉テレビで観た覚えが。

54 :名無し三等兵:02/07/04 02:15 ID:???
>ネレトバの戦い
ユル・ブリンナーの工兵隊長格好いいけどアメリカ人にしか見えない。


55 :名無し三等兵:02/07/04 21:44 ID:2hn0aRcg
>>52
ポーランドは軍用機の開発の他に、
ルノーFTやビッカース・カーデン・ロイドMkVI、ビッカース6t戦車などを参考に、
独自の戦車の開発、生産等を行っていましたね。

独立から日の浅いポーランドが、
これだけ積極的に軍用機や戦車の開発に力を注げたのには、
何か理由とかがあるのでしょうか?
単純に同じ時期に独立した東欧の国家群に比べ、国力があっただけ?

56 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/04 22:59 ID:???
>53-54
あ、それですそれです。
Yak-11がFw-190になって出てきた奴ですかねぇ。
そのほかはそれなりにリアルだった様な気もしますが。

>55
マジャールはトリアノン条約で、ブルガリアはヌイイー条約でそれぞれ多額の
賠償を周辺諸国に支払わなければならなかったハンデがあります。
更にマジャールでは1919年前後にボルシェビキ革命が起きたので、内戦で多大
なエネルギーを消費しました。
ユーゴスラヴィアは、内戦にこそなりませんでしたが、国内統一にエネルギーを
割いたので、産業の発展が阻害されています。
どちらにしろ、セルヴィアには余り産業と呼べる物はありませんでしたし。

ルーマニアは第一次大戦前は貧乏国でした。
石油が産出しますので、工業よりも鉱業の整備に集中しています。
農業中心なのは戦後も余り変わらないですがね。

チェコスロヴァキアはオーストリア帝国の機械工業をそのまま引き継いだので、
かなりの国力を有してました。
しかも、その生活水準は他の東欧諸国に比べると高く、マサリク−ベネシュ体制により、
自由主義的な経済政策が行われています。

で、本題のポーランドですが、チェコスロヴァキアほど民主勢力が発展しませんでしたし、
大戦の結果によるドイツ人、マジャール人、波ソ戦争により、ウクライナ人、リトアニア
人などが雑居する状況で、民主的なリベラル政権はかなり不安定であり、1926年、初代
大統領だったピウスツキによるクーデターと独裁政治が行われています。

独裁政治が始まると同時に、1920年代中期から自由主義経済政策に変わって農業国
から工農国に転換する動きが出てきます。
しかし、世界大恐慌で自由主義的経済政策が完全に破綻し、Hitler、Stalinの登場による、
周辺国の不安定化に伴い、進出していた外国資本が逃避したため、それで発生した失業
者を吸収するために、トルコなどと同じく、国家が経済政策に積極的に介在する、所謂エタ
ティズムを採用しています。
これにより、主に国防に資する機械工業への国家資本の傾斜配分、国営企業の創設が
行われ、戦車、自動車、軍用機などの開発に力を注げたのです。

57 :名無し三等兵:02/07/05 00:34 ID:UqwHpWt7
矢十字党age


58 :大統領警護隊:02/07/05 01:04 ID:XeC/vaJC
ハンガリー軍が陸軍限定なら最強だろう。多分イタリア軍や日本軍なら互角に戦えたかも。
あくまでも陸軍限定だが。トルディやトウランは結構優秀だろう。でもT34には全くかなわなかった。
バラトン湖でもハンガリー軍の戦車は大量の残骸をさらしたし。
それより驚いたのがハンガリー騎兵隊がソ連軍の戦車に突撃して果てたとか?本当か?
ハンガリー騎兵隊の写真見たがこれで突撃しようとよく思ったものだ。ネタかもしれないが・・・・

59 :名無し三等兵:02/07/05 01:30 ID:???
鉄衛団sage

60 :名無し三等兵:02/07/05 04:01 ID:???
>58
最強かどうかはともかくスペック的には、
九七式改やM13/40が相手なら40Mトゥーランあたりで充分相手が出来そう。
T-34は相手がわるすぎたからねえ。

ところで戦車兵の質とかはどうだったんだろ?

61 :名無し三等兵:02/07/05 15:58 ID:???
>>52
ソ連はパルチザンにあんまりテコ入れしてなかった、と大学で聞いたんですが。

62 :名無し三等兵:02/07/05 20:17 ID:???
>61
第2戦車旅団がソ連国内で編成され、T-34/85が65両配備された。
部隊はザグレブに向かって進行し、トリエステで第1戦車旅団と合流した。
他の援助に関してはよく知りません。

63 :名無し三等兵:02/07/05 22:35 ID:???
T-34/85だと連合国がパルチザン支援に乗り出した大戦中〜後期ですか。
戦争終結後の権益目当てが露骨だ(どこの国もそうか)。
的外れならご指摘ください。

64 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/05 23:38 ID:???
>60
戦車兵の質はイタリアよりマシだったかも知れませんね。
矢十字党のクーデターで実質ドイツの占領下に入り、ソ連軍に絶望的な
抵抗をしていた割には戦力も整備されていましたし。
有名な戦車エースとかは存じませんが。

>61
確かに当初は、ティトーは「我が道を行く」でしたからね。

しかも、一応バルカン半島のユーゴは英国の領分でしたし。
ですから、当初亡命政権の意を汲んで、英国から支援を受けていたのは
チェトニクでした。
ところが、チェトニクが自滅したので、ドイツに対抗する勢力はパルチザン
しかありません。
仕方なしに、距離を置いて英国は援助を継続しています。

大戦後期までソ連はティトーを国際共産主義に対する分派活動を行うもの、
要は、傀儡でないものだったので、申し訳程度の援助しかしていません。
しかし、東欧の解放が遡上に上がると、イタリア、ギリシャと東欧を繋ぐユーゴ
の戦略価値が上がり、ソ連の援助も多くなると言う感じです。
正に、>63でおっしゃるとおりだと思います。

(補足ですが、ギリシャは共産党パルチザンがドイツ相手に活動していました。
 ところが、英国がドイツ軍の撤退と引き替えに無血進駐を果たしました。
 王国政府打倒を標榜するギリシャ共産党は、内戦を起こしますが、英国、
 後に米国の支援により鎮圧されました。
 この時の共産党軍の出撃基地はマケドニア、ブルガリア、アルバニアです。
 一方、イタリアも第二次大戦後王制を廃止したときに、社会体制が混乱し、
 共産党が組閣する可能性がありました。)

65 :Su-47信者(狂信的):02/07/06 00:06 ID:???
>36,37(眠い人さん)
お礼が遅れてすいませんでした。どうもありがとうございます。
確かにそいつです。
多分ハンガリー人にとっては史上唯一無二の戦艦として忘れ
去られてしまうんでしょうね。(w
ちなみにイシュトバーンとは1000年に戴冠したハンガ
リー王国の初代国王の名前です。聖人に列せられたので
Szent(聖)がつきます。
 大和とかIstvanとか大仰な名前を付けた艦があっけなく
沈むと悲しいものがありますね。

66 :名無し三等兵:02/07/06 01:03 ID:9YRTsKtb
>65
ハンガリーのダイバーが潜って残骸を発見し、遺物を引き上げました。
ブダペストの軍事博物館に展示されてます。

私の記憶ではハンガリー海軍という組織はなかったように思うのですが。
オーストリア・ハンガリー帝国海軍の艦は例外も多いですが、3隻で1
クラスを成し、内一隻がハンガリー名をつけられていたと思います。

イシュトヴァーンの他、ブダペスト(ハンガリーの首都)、ズリーニ
(オスマントルコと戦ってシゲト城で玉砕したハンガリー軍の武将。
クロアチア太守)アールパード(ハンガリーの王朝の始祖。)など
があったと記憶いたしております。
イシュトヴァーン1世のころのハンガリーは遊牧民族の王朝でした
ので、そんな名前をつけると海で溺れそうな気が・・・。

67 :名無し三等兵:02/07/06 01:45 ID:???
ハンガリーにとってSzent Istvanは特別な艦ではないのでしょうか?
確か同型艦の中でこの艦だけ、ハンガリーの横槍でハンガリーに縁のある造船所で造られたと記憶していますが。
(その結果同型艦の中で唯一2軸になってしまいましたが)

68 :名無し三等兵:02/07/06 23:10 ID:???
>>42
SS第13武装山岳師団ハントシャールに関してですが、
パルチザンにはセルビアのキリスト教徒が多かったので、
ドイツがクロアチア(ボスニア)のイスラム教徒を利用したという事で、いいのではないでしょうか?
ただドイツに煽られるまでも無く、
ユーゴスラビアのイスラム教徒とキリスト教徒の仲は最悪だったようですし、
倫理的にどうであれドイツがイスラム教徒を利用しようと考えたのは、
ある意味自然な流れだったのではないでしょうか?(イギリスなどが世界中で使っていた手法ですよね。)

それと第二次世界大戦当時ボスニアはクロアチアの一部だったのですが、
ウスタシ、チュトニクがボスニアでイスラム教徒を虐殺している為、
ボスニアのイスラム教徒の一部がドイツに対して
ボスニアを保護国にするよう求めたという記述も見かけますので、
一方的に利用したという事は出来ないかもしれません。
(利用する為でしたが、ドイツはウスタシに対しイスラム教徒に対する扱いを改めるように求めていたようです。)

1943年の中頃に師団には20000人前後の兵力があり、その大部分はイスラム教徒なのですが、
そのうち2800人程ですがクロアチア系のキリスト教徒がいたようです。(この数字はもっと少ないかもしれません。)

69 :42:02/07/06 23:40 ID:5LIEKZRp
>>68
詳細なレスありがとうございました。
ここは本当に(゚∀゚)イイ!スレだ。


70 :名無し三等兵:02/07/07 01:21 ID:???
東欧はバルト三国あたりまで含まれるもんですかね?

71 :名無し三等兵:02/07/07 01:35 ID:???
>70
>>23によるとバルト三国は基本的には含まないようです。

ただしスレッド的にはOKのようです。

72 :名無し三等兵:02/07/07 02:03 ID:???
すいません。よく読んでませんでした。沈みます。

73 :名無し三等兵:02/07/07 11:42 ID:???
ちょっとスレ違いですけど。
黒海の地図を眺めると中立とはいえトルコは存在感ありますね。

74 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/07 13:20 ID:???
パソの中身を入れ換えてたのでやっと復活。

>67 Su-47信者(狂信的)氏
聖イシュトヴァーンと言えば、ブダ=ペシュトの博物館に王冠が飾って
ありますね。
頭の十字が大戦で疎開したときに曲がったんでしたっけ。

>66
補足有り難うございます。
すると、一隻は予算が余ったから作ったのかしらん。
大戦控えて一隻でも多くの艦を揃えたかったのかな。

>67
基本的にオーストリア・ハンガリー二重帝国の諸艦は、大多数がSTT
(Stabilimento Tecnico Triestino)で、一部がDanubiusで建造されていますね。
Danubiusは王国領のフィウメにあり、STTは帝国領のトリエステですね。
あと、トリエステにはCNT(Cantiere Navale Triestino)とMonfalconeがあります。

仕事量その他の問題があったのではないでしょうか。

>68
参考になります。
この辺の特に、SS関係は詳しくないので、勉強になります。

>70
>71でも触れられていますが、厳密にはエストニアは北欧、ラトヴィアは
怪しいけど、リトアニアは東欧に含まれる、かと思います。
余り地勢的に離れてしまう話は何ですが、沈まずに参加なさって下さいな。
とりあえず、100レス目指しましょう(ぉ。

>73
そうスレ違いでもないですよ。
トルコも東欧に影響を及ぼしてますしね。
一時期はウィーンまで攻め入りましたし、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア、
マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ辺りは19世紀〜20世紀初頭に至るまで
トルコ領土でしたしね。
第二次大戦ではスペインと同じく英独との距離の取り方は絶妙ですね。

75 :名無し三等兵:02/07/07 16:02 ID:???
ユーゴのイスラムはオスマントルコ支配の名残りだから、関係は(゚∀゚)アル!よ。



76 :名無し三等兵:02/07/08 21:36 ID:???
黒海といえば、ドイツやイタリアも小型潜水艦や魚雷艇等を送り出していましたね。
ドイツは陸路でU-IIBやSボートを送ったんですっけ。
ソ連の黒海艦隊は戦艦はガンクード級のセヴァストーポリに
巡洋艦6隻、駆逐艦16隻、潜水艦44隻等々。
黒海に隣接する枢軸国で曲がりなりにも
海軍力が望めるのはルーマニアのみ(ブルガリアは問題外)
ドイツ、イタリアから増援でも送らない限りとてもやってられなかったでしょうね。
それでもソ連側が数字の上では圧倒的に有利な気がしますけど
ソ連海軍はあまり活発には活動しなかったですね。
(レニングラード級駆逐艦のモスクワとハリコフがコンスタンファ沖で
列車砲に撃たれるのには、ちょい萌えです。回避したけど、
モスクワが機雷につっこむし。)

ルーマニア海軍もあまり積極的に動かずに、
船団の護衛任務等を中心に活動していたようですが、
ソ連の潜水艦を沈めたりもしているから
一応はそれなりに仕事を果たしたといっていいのでしょうか?

第二次世界大戦当時トルコがイギリスに発注していた潜水艦は
イギリスらしくもなく、あっさり引き渡していましたね。
流石に第一次世界大戦当時の経験から懲りていたのでしょうか?

77 :名無し三等兵:02/07/08 22:52 ID:h+OoSN5O
相互リンク ワルシャワ蜂起を語るスレ
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/army/1022299256/


78 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/08 23:02 ID:???
>76
確かにね。
ただ、黒海は思うに大型艦が活動しにくい所だったんじゃないでしょうか。
根拠地としては良かったのかもしれませんけどね。
後、ボスポラス海峡の中立化の件もあったので、此処を通過しての兵力増強は
出来なかったのでしょうね。
かくして、小型艦艇のみの増援となったと言う感じでしょうか。

あと、黒海だけではなくルーマニアはタニューヴ(ドナウ)河の方にも戦力を割いて
いまして、河用砲艦も多数保有していたみたいです。

79 :名無し三等兵:02/07/09 01:46 ID:RaH+7iSJ
>74
王冠は現在は国会議事堂に置かれています。
十字が曲がったのはずいぶん昔の話で、ローマから運んで来たときとか、
いろいろ言われています。実際の王冠はイシュトヴァーンとは関係なく、
ビザンツ製のものとローマ製のものが接合された不思議な代物です。

テゲトフ級のみ4隻というのはヴィリブス・ウーティニスが艦隊旗艦と
して作られたためと聞いています。
他の艦が人名であるのに比べこの艦はフランツ・ヨーゼフ2世帝の治世
のモットー「力を合わせて」を艦の名としているのもいかにもそれらし
いように思います。

80 :名無し三等兵:02/07/09 04:25 ID:???
>79
オーストリア=ハンガリーの旗艦の艦名が、「力を合わせて」というのはなんか泣けてくる。
あの国の当時の指導者は凄い苦労したんだろうな。
民族の問題とか大変だったろうし。

81 :Su-47信者(狂信的):02/07/09 20:44 ID:???
>79
え、王冠は1999年のサマースクールの帰りにブダペストに寄った時には
国立博物館の別館みたいな所に(冷房付きの部屋)に展示してありました
けど。あのあと国会議事堂に移されたんですか?
 なんかその部屋だけ警備員が四人ぐらいいて(恐らく銃装備)「さすがに」
国宝だわ、と思った記憶があります。

82 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/09 21:52 ID:???
>79
失礼しましたぁ。
…と思ったけど、>81で国立博物館の別館とわ??。
体制変革前は国会議事堂で、その後国立博物館に移されたのでしょうか…。
うろ覚えですけど、第二次大戦後に米国に持ち出され、ケネディ政権が返した
と記憶しておりますが…。

今度実家に帰ったときに、掘り出して来なきゃ、東欧関係の本。

>80
1867年まではオーストリア帝国でした。
革命を経て、マジャール人の反発を恐れたために、マジャールは同君連合で
王国として独立させ、オーストリア・ハンガリー二重帝国となりました。
(実際はオーストリア帝国とマジャール王国だったんですけどね)

1908年、ボスニア=ヘルツェゴヴィナをトルコから割譲されましたが、こいつの
統治を巡って王国と帝国が激しく葛藤しています。
で、1914年、落とし所として、暗殺された皇太子が妥協案として三重帝国案を
出していました。
これは、マジャール王国のクロアチアを新たに王国として独立させ、ボスニア=
ヘルツェゴヴィナをクロアチア領に加えて、オーストリア・マジャール・クロアチア
の連邦王制を採ろうとしたもので、マジャール政府の反発を食らいましたが、実現
寸前まで行ってます。

歴史上にIfはありませんが、もし、皇太子が暗殺されていなければ、ドナウ帝国は
ドナウ連邦として生きながらえていたかも判りませんね。

83 :名無し三等兵:02/07/09 22:51 ID:???
ボスポラス海峡の中立化という話が出ていますが、
トルコは何故中立を選んだのですか?

84 :Su-47信者(狂信的):02/07/09 23:16 ID:???
>眠い人どの
少なくとも1999年7月の時点では王冠、剣、Orszag Alma(あの玉?)
は国立博物館なり、美術館なりにあったと思います。国会議事堂にいこ
うとしたら市電のパンタグラフが壊れて電車が動かなくなったんでいき
ませんでしたから。たしか国立博物館の入り口を向かって左の廊下を進
むと真っ暗な部屋があって、そこにライトアップされた三種の神器が飾
ってありました。写真撮影は不可ですが、パンフを売ってますよ。
 王冠はカーター政権時代にハンガリーに返還されたと思いますが、私
が勘違いしてますか?
 時の摂政ホルティが「ソ連に取られたら絶対戻ってこないし、アメリカ
に渡す方が取り戻せる確立は高い」と賢明な判断をして将校団に命がけで
ドイツ軍の占領地域を突っ切って西部戦線に出るよう命じたんだと記憶し
てます。

軍事と関係ない話ばかりですいません。ところでハンガリーにおける
ミリタリーもの出版社の大手ズリーニ(Zrinyi Kiado)出版社って知って
る人います?

85 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/10 00:07 ID:???
>83
最初、第一次大戦で敗れたトルコ帝国は連合国とセーヴル条約を締結します。
これは、1920年に締結されたもので、事実上トルコ帝国解体→植民地化の為の
条約でした。
まず、現在のトルコ以外の土地は英国(パレスチナ、ヨルダン、メソポタミアなど)、
フランス(シリア、レバノン)が支配し、両国の興味を持たない、砂漠だらけのヘジャズ
は独立しました。
また、トルコ内部は、沿岸部がギリシャ領、諸島部がイタリア領、南部はフランス領となり、
トルコ地区のクルド人は自治政府を作り、後に独立を約束され、アルメニア人はロシアから
独立したアルメニアを含んで米国の委任統治領とし、トルコ東部に独立国を打ち立てる予定
でした。
そして、海峡部はコンスタンチノープルも含み、連合国の共同管理となりました。

これに反発したのが、ケマル率いる軍部で、まずアルメニアをソ連と結んで撃破して消滅
させ、クルド人勢力を鎮圧し、ギリシャとの決戦で勝ち、フランス、イタリアを撤退させ、
1922年に最後まで残っていた英国を追い出し、共和制を敷きます。
そして、1924年にローザンヌ条約で1920年のセーヴル条約を放棄し、トルコ領土の確定と、
海峡のトルコへの返還が行われました。
但し、完全主権回復はまだ出来ません。

連合国の影響下にあったために、枢軸国寄りの外交姿勢を取るのが難し
かったのと、初期こそソ連と友好関係を結んでいますが、Stalin時代には
Leninが割譲した領土返還要求が行われています。
このため、ソ連、そしてその友好国たる(とみられていた)ドイツの膨張
政策に対する警戒心が中立志向に向かわせたのではないでしょうか。

また、ケマルはトルコの外交方針を「内外の平和」という言葉で表してい
ました。

これに基づき、1930年代にはフランス主導でバルカン半島の平和と安定を
意図したバルカン協商(トルコ、ギリシャ、ルーマニア、ユーゴ)が締結され、
また、中東諸国の平和と安定を意図したアーダバード条約(トルコ、イラン、
イラク、アフガニスタン)が締結されています。

1936年のモントルー条約もその延長線上にあったのではないでしょうか。
ドイツと英仏の対立を利用したこの条約で、漸く軍事力の行使も出来るように
なりましたからね。

86 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/10 00:07 ID:???
>84 Su-47信者(狂信的)殿
いあ、何しろこの辺の話は10年以上前の記憶を便りに書いているので、
実家にある資料を漁ってみないと思い出せんのです。
些か熱暴走しつつありますし(苦藁。
週末に実家に帰る予定なので、ちょっとこの辺の資料を持ち帰ることに
します。

87 :名無し三等兵:02/07/10 20:31 ID:???
>85
回答ありがとうございます。
当時はトルコも大変な時期だったようですね。

もう一つ質問をさせてもらいたいのですけど、
>>25を見るとトルコは海軍力はそこそこあったみたいですけど、
総合的な軍事力はどの位のものだったんですか。
ライバルのギリシャと同等くらい?
それと当時のトルコの工業、特に軍需産業関係はどの程度の物だったんですか。

88 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/10 22:48 ID:???
>87
ギリシャ陸軍はフランスの兵器中心で、戦車にルノーFT、その強化型、
ルノーNC.1(NC27)、改良型NC.2(NC31)が供給されていました。
このほか、見本としてフィアット3000Bと言う、これもFTの改良型、ヴィッ
カース6トンMk.Eが単砲塔、双砲塔各一両と言う布陣です。

一方のトルコ陸軍は、ドイツ、ソ連が主要供給元ですが、戦車はフランスが
主な供給元で、FTが主力戦車として長く使われ、1936年にソ連からBT-2
を購入しています。
その後、1940年にルノーR.35が供給されています。

従って、陸軍に関してはほぼ互角。

空軍は、圧倒的にトルコですかね。

ギリシャが、戦闘機としてP.Z.L.P.24A/F/Gを36機、Bloch MB152を9機を有し、
米国にGrummanG-36(F4Fの陸上機型)を発注中。
爆撃機はFairly BattleMk.Iが9機、Bristol BrenheimMk.Iが6機。
フランスにBreguet Br.693を発注中。
その他、Henschel Hs-126A-1a観測機が16機、Dornier Do-22水上雷撃機
を12機有していました。

トルコは、戦闘機としてP.Z.L.P.24A/F/Gを140機以上、Morane-
Saulnier M.S.406C.1を45機、Hawker HurricaneMk.Iが15機あり、
このほか、Ikarus IK-3をユーゴから買おうとしますがご破算になりました。
大戦中にHurricane MkIIcを14機、Supermarine SpitfireMk.Vbを100機、
Focke-Wolf Fw-190A-.3を75機供給されています。
爆撃機はHeinkel He-111F/Gが35機、Bristol BrenheimMk.Iが30機。
大戦中にBristol BlemhemMk.4、Beaufighterが供給されています。

なお、トルコには航空機工場があり、戦争末期には軽輸送機の試作もしています。

89 :名無し三等兵:02/07/11 18:59 ID:???
何故か図書館にトルコで使っている
歴史教科書の日本語版があったので読んでみたのですが。

1939年10月19日イギリス、フランスとの間に
トルコにとって防御的な内容の相互扶助条約を結ぶ。
             ↓
ドイツがギリシャやユーゴスラビアを占領&ルーマニアやブルガリアにも影響を及ぼす。
             ↓
トルコにも攻めてくるかも?戦争の準備をする。
             ↓
トルコは軍の近代化が出来ていない。今のままでは、
ドイツに勝てないから英、仏から武器を輸入したい。
             ↓
ところが地中海、特にギリシャ、クレタ島を枢軸国が抑えてる。
武器を安全に供給出来ない。出来れば戦争を回避したい。
             ↓
1941年6月18日ドイツとの間で友好条約、通商協商を結ぶ。
この条約は内容的に先に英仏と結んだ相互扶助条約と矛盾しない。
             ↓
             中立

おおまかに書くとこんな感じでした。
あとは1943年1月30日にトルコの大統領がチャーチルと会談したりしています。
ドイツがギリシャやユーゴスラビアを占領したあたりでは
本当に戦争になるかもしれないと考えていたみたいです。
ただドイツ側にもトルコと戦争をする意図は無く上記の条約を結ぶことになった様です。

全体的に連合国側寄りの視点で描かれていました。

90 :名無し三等兵:02/07/11 22:31 ID:???
>>88
トルコはIII号戦車、IV号戦車G(H)型も取得しているのではないのですか?

91 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/12 00:10 ID:???
>90
一応、ギリシャが占領される前の1940年という視点で書いていたので、
申し訳ない。
III号戦車、IV号戦車ともに1943年に引き渡されているので、敢えて書き
ませんでした。

92 :名無し三等兵:02/07/12 02:36 ID:z3rAJdYL
トルコが宿敵たるソ連と一時手を結んでいたとは驚きました。
装備は中々充実していますね。けど整備とか大変そう。。。
トルコは戦闘とかに参加しなかったしFw-190は戦後まで使用したのかな。

93 :90:02/07/12 22:46 ID:???
>91
失礼しました。
ドイツはよく売るだけの余裕がありましたね。
政治的な意図があったのでしょうけど。

94 :名無し三等兵:02/07/12 23:27 ID:SPI85zNA
眠い人さま・Su-47信者さま
ハンガリーの聖イシュトヴァーンの王冠は建国1000年の年だと思いますが
国立博物館から国会議事堂へ移されました。
ですので、今は国会議事堂観光ツアーに参加しないと見られないようになって
しまいました。

オーストリア・ハンガリー海軍に興味がありますが、なにか良い資料があった
らご教示いただけると幸いです。

95 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/13 00:39 ID:???
>92
国際社会でよく使われる表現(かな?)
「敵の敵は味方」
と言う話ですね。

1920年当時は、トルコもソ連も連合軍相手に戦っていました。
両方とも当時は弱小国家だったので、恩讐を越えて手を結んだのでしょう。
ちなみに、ドイツには宣戦布告を行わなかったトルコですが、1945年2月23日に
日本に宣戦布告を行っています。

あと、空軍機の整備ですが、He-111などは部品の入手が困難で、英国で撃墜
したHe-111から部品を外して送ってもらっています。
部品の入手が困難になったので、Fw-190はパイロットに好評であるにも関わらず、
早期に退役させています。

>91
いえ、お気になさらず。
これが国際情勢の複雑怪奇なところで、ユーゴは連合国として参戦したにも
関わらず、Bf-109Eが引き渡されています。
思うに、余り友好国と言えない国ほど、新鋭機、新鋭装備を供与されているの
は気のせいでしょうかね。

96 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/13 00:50 ID:???
>94
わざわざお調べ頂き有り難うございます。
お陰ですっとしますた。

で、オーストリア・ハンガリー二重帝国海軍ですが、Webではこの辺。
ttp://www.warships1.com/index_ships.htm

漏れが参考にしている書籍は、
"Conway's FIGHTING SHIPS"の1865-1905と1906-1921辺りでしょうか。
後は、ドイツの出版社のものに、専門書があったような気がする。
思い出せないのが鬱ですが。

97 :名無し三等兵:02/07/14 01:58 ID:fzapFKEH
眠い人さま
94です。
ご教示感謝いたします。
こんなマイナーな軍艦でも扱っているサイトがあるのですね。

そういえば、チンタオにいたカイザリン・エリザベートはドイツ
艦隊と行動をともにしてましたっけ。フォークランドで沈んだと
は聞きませんし・・。

98 :名無し三等兵:02/07/14 15:09 ID:p8ff4N/K
内容が深すぎてついていけん。
眠い人氏は学者先生ですか?

99 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

100 :名無し三等兵:02/07/14 22:59 ID:???
100get!!
98までイイ感じで来たのにぃ〜。
東欧と言えば、ポーランドの槍騎兵とハンガリーの軽騎兵だね。
でもスレタイがWWIIなので自粛っと。
でも東欧は騎兵がいいよ〜。
ところで、上の方でちょっとありましたが、ギリシャは地理学上は東欧です。
戦後、イギリスがギリシャを自由主義圏の盾にしたため、
東欧唯一の自由主義国と言われていました。
東欧=共産主義圏というイメージが定着していた事もあって、
少々違和感は有りますが・・・。

101 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/15 00:47 ID:???
ま〜ったく、此処で宣伝したって見に行くのはおりゃせんのに…。

>97
Kaizerin Elisabethですが、青島防衛のためにドイツ軍に引き渡されています。
んでもって、搭載されている15センチ砲と47ミリ砲は陸揚げされ、それらは、その名も
"Elizabeth"砲台に設置されて使われました。
船体の方は、結局日本軍占領5日前の1914年11月2日に自沈しています。

>98
親戚に学者はいるけど、漏れは一介の軍ヲタですよん。
ちょいと、工房の時に東欧史をメインに研究してたけど(今から考えると変な学校だ)。
気楽に参加して下さいな。

>100
100getおめ。
まぁ、話がWWIにまで拡散しているので、20世紀前半ネタなら大丈夫じゃないかと。
(つ〜ことはバルカン戦争もOKなのか(ぉ。)

東欧の定義って結構難しいところがありますからね。
地理学上はそうだけど、政治学では旧共産圏諸国とか言いますもんね。
ギリシャにしても、一時期共産主義勢力が伸張していた時期があるので、
無理にでも当てはめようとすれば、言えなくもない。

そう言えば、アルバニアには誰も触れていないな。

102 :名無し三等兵:02/07/15 03:32 ID:2Kgi2dST
漏れがageた直後に広告が。外患誘致で処刑…
>>101
旧制高校チックでいい学校ですね。
アルバニアというとトーチカ大好き独裁者エンベル ホッジャですが、
奴は大戦中何か手柄立てたんですか?

103 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/15 21:00 ID:???
>102
アルバニアの歴史について少々。

アルバニアは1912年にバルカン戦争の結果、公国として独立します。
この時はドイツから元首を持ってきますが、第一次大戦でオーストリア・
ハンガリー帝国に占領され、公国は消滅します。

その後、1918年に一旦イタリアに占領されますが、1920年に独立を回復し、
共和国となります。
そして、民主政権、独裁政権の短命政権が続き、1928年に大統領だった、
アフメッド・ゾグーがゾグーI世と名乗って、王国となります。
ところが、1939年にチェコスロヴァキア解体を見たMussoliniがバスに乗り遅
れるなとばかりに、この国に軍隊を入れ、ゾグーを退位させ、二代目の国王
として、イタリア国王を即位させて占領します。

1943年、イタリアが降伏するとその支配地はドイツ軍の支配下に入ります。

しかし、この国は戦略的な位置にないので、占領軍が一線級の装備を
持たなかったと言うのもあって、パルチザンの活動は容易で、1944年11月
にホジャ率いる共産党が政権の座に就きます。

ただ、ホジャ自身は、チトーとスターリンの支援を受け、コミンテルンの指導
の下で1941年からずっと抵抗活動をしてます。
とは言え、フィリピンのマルコスとか、キム将軍の様に口先だけ、宣伝だけ
と言う感なきにしもあらずですな。

ちなみに、ゾグーI世は英国、次いで南アフリカに亡命してます。
共産政権崩壊時、ゾグーI世の息子が、南アフリカから帰還して、政権の正
当性を主張してひと騒動有ったみたいですね。

104 :名無し三等兵:02/07/15 23:01 ID:5PYd90GW
ホッジャのパレードの様子は金将軍と同じ臭いがしてました。欧州なのに。

105 :名無し三等兵:02/07/16 05:06 ID:???
戦間期のアルバニアは東欧の中でも弱小な国家(軍隊)というイメージしかない。

あと、ここも人種(どちらかというと宗教?)で色々揉めてましたね。


106 :名無し三等兵:02/07/16 05:25 ID:wUPrUMvH
>68
二次大戦以前のユーゴでボスニアムスリムとキリスト教徒(?)の
仲が最悪だったって話は聞いたことがないんだけど……

107 :Su-47信者(狂信的):02/07/16 06:54 ID:???
ハンガリーへの留学がきまりますた

108 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/16 22:56 ID:???
>104
東欧の最後の小スターリンですからね。
でも、チトーは断交後、大アルバニア主義を警戒して国境沿いに要塞群を
設置してたりするんですよね。

>105
確かに貧乏な国家ですから…。
しかも、主力兵器はイタリア製、軍事顧問もイタリア人(藁。
戦車はフィアット3000に戦闘用航空機がRo-37だっけかな。
宗教と言うより、「みんなビンボが悪いんや」の方だと思われ。
アルバニアは元々、トルコ領ですので、ほぼ100%イスラームです。
毛沢東の影響を受けて「無神論」国家になったのは戦後のことですよ。

>106
そうでもないようですよ。
最初、ユーゴはセルヴィア、クロアチア、スロヴェニアの三国からなる連邦国家と
なっていますが、後に大戦前からの大セルヴィア主義が中央集権国家へと向かわ
せています。
この時に、セルヴィア正教徒とカソリック、イスラームの対立が始まっています。
戦後もコソヴォではアルバニア系パルチザンが独立を求め、1951年まで戦っていま
すし。(この時はホジャとティトーの取引で、ホジャが大アルバニアを諦めることになった)

>107
おめ!
正直、おうちがビンボじゃなければ、院に残って研究生活を続けられたのに…。
ウラヤマスィ。
「みんなビンボが悪いんや」

109 :名無し三等兵:02/07/16 23:23 ID:???
>>106
失礼しました。
キリスト教徒ではなく主にセルビア人(セルビア正教徒)と書いた方がよかったかもしれません。
それと戦間期のみならず開戦後からハントシャールの編成される
1943年頃までの虐殺事件等も含めての話のつもりだったのですが・・・。

とりあえずは関係無いのですが前提として、
ボスニアはもともとイスラム教徒の地主が多く
キリスト教徒のクメット(小作人)は使われる立場でした。
その為19世紀から20世紀初頭にかけては支配者や地主に対し頻繁に反乱が起きていました。
(イスラム教徒の全てが地主だったわけではありませんが、
イスラム教徒の小作人はキリスト教徒とは違い殆どが自由農民でした。
クメットはどちらかというと農奴的な性格を持っていましたが、
西欧の農奴程権利が抑圧されていたわけではありませんでした。)
ここら辺はまだ普通の農民の反乱といえるかもしれませんが、
ただ1918年にボスニア全域とクロアチアの一部で起きた大規模な農民の反乱は
少し毛色が違うように思います。
この時はキリスト教徒によるイスラム教徒に対する襲撃や略奪等が大量に発生したそうです。
(丁度ボスニアからオーストリア=ハンガリーが去りセルビア軍が進駐してくる時期にあたるのですが、
イスラム教徒には彼等が見て見ぬ振りをしている様に写ったのも不満の対象になりました。)
これも原因の一つとなり、1919年から1931年にかけて
農民の格差をなくす為に農地改革が行われるのですが、これは中途半端な改革に終わる上、
土地を手放す地主に対する保障も充分になされなかった為、両者から不満の声があがりました。

110 :名無し三等兵:02/07/16 23:25 ID:???
さて1918年にセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国が成立するのですが
この国家が出来た当初からあくまで、セルビア人主導の国家でした。
主要なポストは全てセルビア人が抑え、
地方、例えばボスニアなどにおいても、
それまでイスラム教徒が占めていたポストも全てセルビア人に奪われました。
セルビア人とその他の人種の溝は埋まらないまま、
結局1928年にモンテネグロ出身議員が議場でクロアチア人議員に対し発砲し、
死亡させる事件が起きるのですが、
これが原因で一時議会は活動を停止し、国王アレクサンダル1世による独裁が始まります。
この際、格民族色を薄め団結させる為に国名をユーゴスラビアに改名します。

国王による独裁政治下でも、セルビア人優位の状況はあまり変わりませんでした。
例えばバノヴィアという行政区分が新しく設けられたのですが、
これらはそれまでの民族の境界線等を全く無視して作られており、
9つのバノヴィナの内6つまでがセルビア人が過半数を占めるように作られていました。
この時も主要ポストはセルビア人が占めていました。
また議会も新たに設けられるのですが、国王の言いなりになるようにシステムが改められていました。
1934年に国王がウスタシに暗殺され、独裁政治も終わります。

111 :名無し三等兵:02/07/16 23:28 ID:???
こういった経緯と大戦が始まってからの
チュトニクと(余り本に書かれたりはしませんが)パルチザンの
イスラム教徒(及びクロアチア人)に対する残虐行為等を踏まえれば
両者の中が窺い知れると思うのですが・・・。
(念の為書くとウスタシやイスラム教徒も散々セルビア人を相手に残虐行為を行っています。)

それと片手落ちにならぬ様書いておくと国王暗殺後のユーゴスラビアで
主席摂政となったパヴレ公の意向で
融和的な政策が採られ始めイスラム教徒が重要なポストに付いたりしているのですが、
彼等の溝を埋めることが出来たとは思えません。
クロアチア人に一定の自治を与えるスポラズム(協定)に関しても裏目に出てますし。


当時のイスラム教徒と一般のカトリックのクロアチア人の関係に関しては
正直私にはよく理解し難いです。
ただクロアチア独立国が成立した初期にはウスタシがイスラム教徒に対し虐殺事件を起こしたり、
クロアチア政府がイスラム教徒を強制収容所送りにしている様なので、
同じ側に立っているとはいえ、緊張を含んだ間柄なのではないでしょうか?
ただ、彼等の憎悪する主な対象はあくまでセルビア人であるように思います。

112 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/16 23:40 ID:???
漏れが、>106で糞レスを書いている間に、スゴイ量のユーゴに関する
レスが…。

   ∧∧
  /⌒ヽ) < すまん。
 [ 鬱 _]    「ちゅ〜とはんぱ」なんで逝ってくる。
 三___|∪
 (/~∪


113 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/16 23:45 ID:???
>106
すみません……漏れが書いたのは>108ですた……。
  ,、|,、
 (f⌒i
  U j.|
  UJ
   :
  ‐=‐

114 :名無し三等兵:02/07/17 01:28 ID:???
>>107
いいですね〜

ただ残念な事に大戦中のハンガリー戦車は
みんなソ連に捕られてしまってクビンカ逝きかな?
某誌でブタペシュトの王宮の丘にある軍事歴史博物館に触れていたけど、
あそこにもハンガリー戦車は無いらしいし。
探せば何処かにないのかな?

………スマソ勉強しに行くんですよね(w

>112-113
Σ( ̄ロ ̄;

115 :名無し三等兵:02/07/17 04:27 ID:C0197UrD
留学先ではナチスキンヘッドに気をつけてください。


116 :名無し三等兵:02/07/17 04:40 ID:eG218VDE
べラ=クンていなかったけ?

117 :名無し三等兵:02/07/17 05:13 ID:DQX/+4xx
>109-111
詳細な書き込みありがとうございます
特に、バノヴィアがゲリマンダー的色彩を帯びていたという情報は初めて
聞くものであり大変参考になりました
私はかねがね第一のユーゴの中央集権=大セルビア主義という図式は
クロアチアのいわば僻みであり客観性に欠けるのではと思っていましたが
その認識が少し改まりました

WW2時の「クロアチア独立国」ならびにウスタシャに関しては、ボスニアでの
主導権を巡ってムスリム人を自陣営に引き入れる必要があった関係上、
クロアチアはムスリム人を冷遇しなかったと聞いています
ムスリム人=元来はクロアチア人という意識の元、ウスタシャにムスリム人が
参加するケースも少なくなかった
チェトニクにしてみればボスニアムスリム=ウスタシャという意識があって
それが虐殺の根拠になった、と
すると、セルビア人VSクロアチア・ムスリムという中央VS地方の図式が
一応成り立ち、イスラム教徒であることを理由にキリスト教側が迫害を
加えたという認識は成り立たないのではと思った次第です

118 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/17 22:37 ID:???
あ〜良く新だ…(ぉぃ。

>114
ネタ本かも知れないけど、世界の無名戦車@アリアドネ出版によると、
ズィリニィがクビンカに、トゥランもそうだっけかな。
ニムロッドはブダ=ペシュト郊外の軍砲兵学校に保管されているそうな。

>116
二重帝国軍の兵士として東部戦線で戦い、捕虜となり、社会民主主義者、次いで
ボルシェビキに転向。
1918年、マジャール共産党を創設し、世界で二番目のソヴィエト政権である、マジ
ャール・ソヴィエト社会主義共和国の政権最高実力者となり、マジャールに君臨す
るも、ホルティの反革命軍とルーマニア軍によって、共和国が瓦解すると、オースト
リアを経由してソヴィエトに亡命。
此処で、コミンテルンの執行委員となり、1921年のドイツに於ける共産主義革命蜂起
を指導し、失敗。
この件でLenin、Trotskyと対立したが、後にStalinに協力してコミンテルンの要職を歴
任したが、1937年に逮捕、1939年に粛清された、節操のない人物ですな。

119 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/07/18 00:41 ID:1ylxzXGX
眠い人さま
カイザリン・エリザベートの質問をしたものです。
ハンガリー史スレでのHNを使わせていただきます。
東欧史に非常にお詳しいですね、勉強になります。
世界史版のハンガリースレにもお越しください。

>114
王宮の軍事博物館にはトゥルディのキャタピラがある
ぐらいですね。小火器の類はかなり豊富ですが・・・。
ニムロッドはヤノシュボヤーイ砲兵学校というところ
だそうですが、つてでもないと見学できないのではな
いでしょうか。


120 :Su-47信者(狂信的):02/07/18 03:49 ID:???
>眠い人、その他の方々
御声援ありがとうございます、ハンガリーで頻繁にネットに繋げるかどうか
わからないので書き込みはこれで最後です。このあと種々の手続きで忙しく
なりますので今の内にお別れをさせていただきます。

 さらば軍事板、また会う日まで!!

121 :名無し三等兵:02/07/18 04:44 ID:8nyrNWPh
ttp://www.skrewdriver.net/links.html
スレと直接関係ないかもしれませんが、現在進行形の(東)欧州極右リンク集。

122 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/18 22:42 ID:???
今日はこれから某選対スレ解散式に出席。
風邪を引きました。

>119 ギシュクラ・ヤーノシュ氏
世界史板覗いてきましたが、知識の豊富な方ばかりで、漏れの入る余地は無さ
そうです。
漏れなんか、10年前の耳学問なので、実地に体験なさっている方から見るとまだ
まだひよっこですわ。

>120 Su-47信者(狂信的)氏
いってらっさい。
気を付けてね〜。
skinheadにやられないように注意してね。
向こうに行って、もしネット接続環境が出来て、このスレがまだあったら(藁、
またカキコして下され。


123 :名無し三等兵:02/07/18 23:42 ID:???
>>117
レスありがとうございます。
当時のクロアチアは人口的に微妙ですからね。
セルビア人、ユダヤ人、ロマ人等に対しては、改宗が強要されましたが、
ムスリムに対しては強要されなかったようですし。
クロアチア独立国の政治家が
「クロアチアは二つの宗教を持つ国家である」
とわざわざ言明しているようですし・・・。
ムスリムに対しては基本的には特別扱いのようですね。
ただ前述したように、必ずしもうまくいってはいないように思うのですが・・・。

>ウスタシャにムスリム人が参加するケースも少なくなかった
一部のムスリムがドイツにボスニアの保護国化を求めたり
SS第13武装山岳師団に自治を求めて志願するものもいたそうなので、
同じムスリムでも大分意識が違うように思います。
(ムスリムに限った話ではありませんが、一部パルチザンに参加するものもいましたね。)
それと、少し年代が異なるのですが、
20世紀初頭位のムスリムは一部のインテリ層は
クロアチア人、セルビア人としての意識を持っていたのですが、
大多数はムスリムとして独自のアイデンティティを持っていたそうなのですが・・・。
とはいえウスタシャに参加したケースが少なくなかったそうなので
この時代になるとクロアチア人としての意識を持つものが多かったのでしょうか?
明確な敵(セルビア人)が存在していましたからね・・・。

よ〜分からん

124 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/07/19 00:00 ID:ZFg5/ULx
Su-47信者(狂信的)さま
いってらっしゃい。
ブダペスト在住の方のホームページはいろいろあるので、
ご覧になると参考になるでしょう。
ネットにつなげるようになったら現地の情報をご教示
下さい。

眠い人さま
私も現在進行形の耳学問です。
こちらでも勉強させていただきますのでよろしくお願いいたし
ます。

125 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/19 00:03 ID:???
ちょっと後夜祭を抜けて。

>123
思うに、ムスリム人という扱い自体がティトーが作った人工的な区分であって、
戦前には存在してなかったはずです。
で、1908年にオーストリア・ハンガリー二重帝国に併合されたときにクロアチア
の行政官僚がボスニアに行く可能性があったはず(三重帝国案もあるから)な
ので、クロアチアに親近感を抱いていたのは確かじゃないでしょうか。
ちと、酔っぱらい頭なので、支離滅裂でスマソ。

126 :名無し三等兵:02/07/19 21:24 ID:???
>118
世界の無名戦車、普段あまり取り上げられない戦車を扱っているのが結構面白いですね。
トゥランとかマーシャルとかこのスレのテーマに関係深い車両も
多数取り上げられていますし。
そういえばマーシャルはまだ名前が挙がっていませんね。

スレ違いですがベルデハなんてコレ読んで初めて知りました。

>125
とはいえ戦前は自分達の政党を持ち独自路線を歩んでいませんでしたっけ。

127 :名無し三等兵:02/07/19 23:31 ID:???
あ、それは話の簡便のために厳密さを犠牲にしました<ムスリム人
正確には1967年登場の用語ですね。断りもなく申し訳なかったです
また、ムスリム人という言葉そのものも極めて便宜的なもので、
ムスリムでないムスリム人というのも珍しくないんだとか
20c初頭の「有利な民族を名乗る」彼らの心境も、そういった境界的な
位置づけに由来するのでしょう
ユーゴ内戦後は「ボスニア人」を名乗る動きがあるとも聞いています

sageつづけているのはあんまり軍事な話でないという罪悪感からです
でも、この辺をしっかり認識していないとユーゴ内戦そのものが
訳わからない戦争でしたとしか言えなくなるので……
しかしスレタイトルが「WW2中の」なのでやっぱり罪悪感からsage

128 :名無し三等兵:02/07/20 03:28 ID:nCMIxDqc
面白いから保全

129 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/20 11:00 ID:???
>126
漏れも知らない戦車がイパーイ取り上げられていて、なかなかあの本は
楽しませてくれました。
と言うか、社会主義体制が崩壊して、今までタブーとされていた第二次
大戦時の兵器について彼の国も漸く語れるようになったのでしょうか。
スコードロン社から、IAR.80/81で一冊本が出るとは思ってなかったし。

話は変わりますが、昨日、書泉(神保町の本屋)に行った際に久しぶりに
洋書をつらつら眺めていると、"Poland Air Force WWII"とか"Czech Air Force"
などの本が出てました。
欲しいと思ったんですが、価格面で折り合いが付かず、買うのを躊躇しましたが。

>127
良スレはsageで(ぉ。

確かに、東欧の民族紛争はその国の歴史に根ざしているので、その国の歴史を
語らないと周辺が見えてこないと思いますです。

漏れはこのスレを立てた>1さんじゃないですし(むしろ乗っとった方か(苦藁…)、
それなりに話を拡散させないと、この辺の軍隊の戦略、兵器整備の方針などを
語るの難しいと思います。
それに、元々話題が少ないから200レス達成は無理そうですし、どんどんやって
下さいな。

昨日本屋に行って、東欧関係の本を漁っていて、ふと気が付くとガリバルディの
伝記を買っていたヘタレより。

130 :名無し三等兵:02/07/20 12:18 ID:???
>129
TACAM T-60、TACAM R-2・・・ルーマニアに装甲版の製造能力が無い為、
ソ連軍から捕獲したBT-7戦車とT-26戦車から切り取った装甲板が流用されている・・・(泣
個人的にはこいつらがツボに嵌ってたりする。

大戦中のポーランド軍関係は結構海外サイトとか見かけるから、それなりに人気があるんだろうケド
チェコ空軍とは因果な・・・。

131 :名無し三等兵:02/07/20 22:31 ID:2wOMLpj+
>129
書泉ってグランデですか?

132 :名無し三等兵:02/07/21 03:36 ID:???
>129
IAR.80/81は中々に興味深いですね。
バリエーションとか結構ありますし。
カタログスペック見る限りでは中々良い感じの機体?


>131
洋書が置いてあるのはグランデじゃないっけ?

133 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/21 11:08 ID:???
>130
しかし、装甲板の加工とか溶接とかはどうしてたんでしょうねぇ。
装甲板をドイツなり、マジャールなりに送って加工してたのか…。
ドイツからの供給は無かったんでしょうか。
それだけルーマニアは信用されていなかったんかな。

チェコスロヴァキアについては、英国で500名余りの空軍要員がいたそうだし、
親英国だから、それなりに市場があったんじゃないかな、と思います。
ちなみに、亡命ポーランド空軍は1800名ほどいたらしい。

>131
そうですよん。

>132
ライセンス生産していたP.Z.L.P.24の後継機として、1938年に試作されたもの
ですが、直前に、Hurricane、He-112が供与されて試作ペースが落ち、戦闘機
の不足に直面して、慌てて実戦・量産化したものですな。
エンジン周りはP.24の流用だったりします。
出現当時は既に対戦闘機戦には苦しくなってましたけど、そっちはBf-109G
に任せて、自ずから迎撃とか地上攻撃機として活動したみたいです。

ただ、機動性は良かったみたいで、しばしば敵戦闘機の襲撃を交わして、返り
討ちにしていたようです。

この戦闘機の機銃って、FN製なんですね。
B型の機関砲はMGFFと、東西入り乱れてますよねぇ。

134 :131:02/07/21 23:22 ID:gD0I02H9
靖国の近くってこともあり、グランデ前をよく街宣車が通りますね。
あれは和製ウスタシorチェトニクになるのか?
チェコ空軍の映画をジブリが配給するってのはガイシュツですか。

135 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/22 22:53 ID:???
>134
日本のハンドメイドの装甲車に乗った人々の話は此処では幾ら何でも
こじつけすぎです(ぉ。

ウスタシとかチェトニクはあくまでも、多民族国家内での自陣営の居留
民保護のための自衛組織であって、或る程度単一民族国家な我が国に
おいて、ハンドメイドの装甲車に乗って軍歌を流して悦に入っている連中
と一緒にしない方が良いと思います。
こっちは一人の死しか考えないのにあっちは数百人単位での死を考える
ので、スケールが違うか、と。

そう言えば、最近モンテネグロとセルヴィアと新ユーゴの間が熱いですね。

ところで、チェコ空軍の映画って何です?
詳細キボンヌ。

136 :131:02/07/22 23:17 ID:c+6EqIu1
亡命チェコ空軍映画はこのスレで発見。
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/army/1011966705/l50


137 :名無し三等兵:02/07/22 23:55 ID:???
ウスタシャとパヴェリッチについては「籠一杯の牡蠣のむき身」っていう、世にもおぞましいエピソードがありますな。
ちなみに131氏が紹介してるのは「Dark Blue World」という映画で、日本では今秋公開。
予告編では実機のスピットファイアが空飛んでます。
なんでも予告編を見た宮崎氏が大変気に入ってジブリが配給することになった模様。

あと高橋慶史史の「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」で、ズタボロになって戦ったルーマニア第一戦車師団と、枢軸国なのに枢軸国としか戦わなかったブルガリア戦車師団の話が載ってます。

138 :名無し三等兵:02/07/23 00:07 ID:???
ルーマニア空軍はトップエースで60機撃墜のConstantin Cantacuzinoを始め
2位で55機撃墜のAlexandru Serbanescu、3位で45機撃墜のIon Milu他
多数のエースを抱えていたようですが、
彼らを含めて主なエースは大戦末期はBf-109を使用していたみたいですね。
Constantin Cantacuzinoもこの国では少数派のハリケーンMk.Iで初撃墜を記録していますけど、
結局はBf-109に乗り換えていますしね。
IAR.80/81も終戦まで迎撃任務とかで頑張っているんですけどね。

この国のエースは撃墜数もさる事ながら、
P-51とかLa-5とか結構大物を喰っている奴がいるのが印象的です。

それと、このスレの>1でしたら密かに名無しで書き込んでいたり・・・。
眠い人さんのレスは大変勉強になります。

139 :名無し三等兵:02/07/23 00:51 ID:lRH6cBQ2
籠一杯の牡蠣のむき身エピソードの詳細希望。

140 :名無し三等兵:02/07/23 01:00 ID:???
↑パヴェリッチで検索すれ。

141 :名無し三等兵:02/07/23 01:20 ID:???
これか・・・本当だとしたらエグイな。

復刻★信じられないが、本当だ。 Part2
32 名前:名無し三等兵投稿日:01/10/29 14:43 ID:7fX2wWTe
第二次大戦中、クロアチアを支配していたファシスト政党「ウスタシャ」の
指導者パヴェリッチのもとをある人物が訪ねた。
見ると机の上に籠いっぱいの牡蠣のようなものが盛られていた。
それは何かと訪ねるとパヴェリッチはこともなげにこう答えた。
「それは私の支持者からの贈り物でね。」
「セルビア人の眼球だよ。」

142 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/23 22:39 ID:???
>137
なるほど、久々に映画館に行って来ようかなぁ。
シェパードがいたら、亡命チェコ空軍のパイロットの話になるんですけどね。
(確か20年ほど前の航空ファンに掲載されていたような)
モデルは誰だろう。

「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」ですかφ(.. )メモシテオコウ。
ブルガリアのところは激しく読みたいです。
今、「暗黒日記」という本で東欧の崩壊の辺りを読んでいますので…。

>138
(^◇^;)…すみません我が物顔に伸したりして…。

航空情報別冊に「世界のエースパイロット」と言うような題の本がありましたね。
久々に本の山を崩して向こうの本を取ってこようかな。
矢張り、ソ連機相手だからスコアの伸びが違うのでしょうかね。

>139-141
そして、牡蠣が食えなくなる罠。
そう言えば、パヴェリッチと言い、ホルティと言い、東欧の指導者は戦後
軒並み、スペイン、ポルトガルとか南米辺りに亡命してますね。
そう言う意味ではナチス指導者よりは身の処し方が上手いのかも。

143 :131:02/07/23 22:51 ID:om395lgL
籠一杯の牡蠣のむき身で検索かけてますた。
ダークエピソードですな。
東欧のファシストは生き残っていたんですか…



144 :名無し三等兵:02/07/23 22:57 ID:???
どーせ、でっちあげだろ

145 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/07/24 00:06 ID:VTnVcdHs
>ラストオブ・カンプグルッペ
連載時はハンガリーのエピソードもあったように思うのですが、
単行本には収録されなかったようですね。

>142
亡命チェコ空軍というと「空軍大戦略」にも登場してませんでしたか?
あれはポーランド軍でしたっけ・・・。
チェコ軍というと「暁の7人」という「遠すぎた橋」と同時期にひっそり
上映されたラインハルト・ハイドリッヒ暗殺作戦の映画を思い出します。
プラハに行ったおり、主人公たちが立てこもって戦死した教会を訪れて
きました。


146 :名無し三等兵:02/07/24 00:21 ID:???
>142
そうですね当面の敵はソ連でしたし。
でも戦争後半になるとルーマニア領内のプロエスティ油田などに対し
米軍が爆撃を行っていた関係上、P-38、P-51、B-17、B-24等
米軍機とも戦う機会が結構あったようです。
それと後々対独戦に参加するのですがBf109やFw190を撃墜している奴もいますね。

>145
ラストオブ・カンプグルッペなら続編も予定にありましたよ。それに掲載されるのでは。

空軍大戦略は確かポーランドじゃないでしたっけ?
なんか陽気な連中だった記憶があります。

147 :137:02/07/24 00:42 ID:???
じつは>>141で紹介された発言を書いたのも俺なのだが。
牡蠣の話は元ユーゴの指導者で1954年に路線対立から追放されたミロヴァン・ジラスの著書「スターリンとの対話」に載っている話らしい。
といっても別な本にされていた引用が元ネタなんで、でっちあげかどうかはわからない。
ただクロアチアではカトリックの神父が「セルビア人は子供といえども容赦なく殺せ」ってアジ演説やってた(映像の20世紀より)くらいだから、あっても不思議ではないと思う。
ちなみにセルビア語とクロアチア語は方言程度の差異しかなく、別な言語とされてるのは多分に政治的な理由らしい。

>>142
略称ラスカンはモデルグラフィックスを出している大日本絵画から出てます。
続編も出る予定ですがいつになるか。
筆者の高橋慶史氏は、アーマーモデリング氏で「SS最貧師団列伝」を連載中。クロアチアのハンジャールやハンガリーのフニャディなど東欧系の師団もけっこう紹介されてます
同題のHPも開いていて、BBSでは濃い戦史ネタの話が飛び交ってます。

あと東欧とはほとんど関係ないですが、大日本絵画からは8月に宮崎駿がドイツの戦車エース、オットー・カリウスの自伝を元に描いた日本一濃いティーガー漫画「泥まみれの虎」が刊行予定。
漫画の舞台になったエストニアの田舎に取材に行ったり、まだ存命のカリウス氏との対談が載ってるそうなんで、期待大です。

148 :名無し三等兵:02/07/24 01:02 ID:???
セルビア語がキリル文字表記で、クロアチア語がアルファベット表記でOK?

149 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/24 22:30 ID:???
>144
煽りっぽいレスにマジレスも何なんですが、当時のクロアチアで、失わ
れた人命は6万5000〜70万とかなり幅があります。(あの狭い国に一声
100万人とも言われる犠牲者がいるかも)
これは、その時の資料が失われてしまったのと、その後の歴史の封印で
数字自体が曖昧になってしまっているわけです。
>147でも137氏が書かれていますが、ナチスのユダヤ人民族浄化以上に
掃討を行ったみたいですね。

>146
通り道に当たるブルガリアでもD.520やらBf-109や、P.24!まで総動員して
迎撃に当たっているようですね。
そう言えば、イタリアのRe-2005はドイツの所属になるんでしたっけ。

>148
Oui!それで良いですよん。

150 :名無し三等兵:02/07/25 02:33 ID:???
すいません。ルーマニア第三位のエースはFlorian Buduかも、
どうもIon Miluは資料によって生涯撃墜数がかなりばらついている。

>149
当時のクロアチアで失われた人命に関しては
セルビア人はクロアチア人の残虐さを必要以上に強調する為に過大な数字を主張し、
クロアチア人は自分達を擁護する為に過小な数字を主張しているそうですね。

ブルガリア空軍はAvia B.534まで駆り出して迎撃していたそうな。
流石に古いので、すぐ他の機種に変えられていたけど。
よく知らなかったけどRe-2005もルーマニアで防空任務にあたっていたのか・・・。
たいした数が生産された訳でも無いのにあちこちに顔を出している機種だな。

151 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/25 22:57 ID:???
>150
95式戦闘機も真っ青って奴ですな、B.534。
元々ブルガリア自体は期待されていなかったから、こう言うものだったんで
しょうかね。
Re-2005は、十数機の少数配備だったかと…。

話は変わりますけど、ブルガリアにも航空機工場がありまして、D.A.R.シリーズの
飛行機を作っていました。
D.A.R.6は練習機ですが、D.A.R.10は低翼単葉固定脚の急降下爆撃機で、1941年に
初飛行しています。

しかしながら、その後すぐにJu-87が供与され、こいつは直協機の任務に就いている
んですね。
しかも、少数生産に終わった、と。
まぁ、習作の域を出ませんが、我が国も飛行機が作れるんだぞ、と言うドイツに対する
ジェスチャーだったのでしょうかね。

152 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/26 23:17 ID:???
ラストオブカンプフグルッペを買ってしまいますた。

ついでに、今月号のモデルアート見てたら、TACAM R-2が取り上げ
られていました。
確かに35(t)と同系の車体だから、改造は簡単だろうけど…。

Injection Kitが発売されたのには驚きました。
やるな、チェコ。

153 :名無し三等兵:02/07/27 01:14 ID:???
ラスト・オブ・カンプフグルッペは、
ルーマニアやブルガリアの以外な奮戦振りが伺えるの面白いですね。
それと同時に国力、工業力の底が浅いのも分かりますけど…。
例としてルーマニアの1942年10月の国産兵器の実績月産数が上げられていますけど、
これが、ドイツにおける中規模の軍事兵器工場一ヶ所とほぼ同じというのは
…よく戦争したもんだ。

第二次世界大戦中にブルガリアの使用した戦車、自走砲の類をみると、
ドイツ製、ソ連製、フランス製、チェコ製、イギリス製と実に多国籍なうえ、
極少数とはいえ鹵獲したトゥランやらセモベンテやら使っているのは泣けます。
ついでに火器の類も見事にバラバラでしたね。
戦争して鹵獲した砲を使うというのはともかく、戦前から同じクラスの砲が3種類も4種類もあるし。

あとこの本とは関係ないですけど、ハンガリーはレンドリースでソ連に渡った
M3軽戦車を最低3両は鹵獲して使用していたそうです。

モデルアートも読まないとな…。

154 :名無し三等兵:02/07/27 11:06 ID:???
このスレはコスプレ臭がしなくて(゚∀゚)イイ!
「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」のサイト情報サンクスです。

155 :名無し三等兵:02/07/27 16:16 ID:???
ルーマニアの見せ場はオデッサ攻略にスターリングラード戦、
降伏直前の南ウクライナの戦いか・・・。

156 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/27 22:55 ID:???
>153
しかし、ラスカンを改めて見てみると中古兵器オンパレードやね。
常に新品を供給して貰えてたのはハンガリーのみか?
整備やら補給部門の人は部品を何処から調達するのか、さぞ頭を悩ましたこと
でしょうね。
戦争をする気があったのかと、ブルガリア軍部を小一時間…(藁。

>154
コスプレは出来ないでしょう。
そう言う人がいたら濃すぎますよ、というか誰も何処の格好をしているのか
判らないような気がする。
そう言えば、大日本絵画から第二次大戦軍装ガイドというのが出てたな。
あれに、東欧は載ってたっけ。
ちと掘り出してみよう。

>ルーマニアはブルガリアよりは見せ場があったのではと言ってみるテスト。

157 :名無し三等兵:02/07/28 00:24 ID:???
オデッサ戦車に苦戦するルーマニア軍。。。

158 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/28 22:26 ID:???
>157
ベッサラヴィア(今のモルドヴァ共和国)辺りだと、住民の殆どが旧ルーマニア
国民だから、そこそこ快進撃できたのだろうけど、ウクライナじゃなかなか難しい
のではないかいね。
そう言う意味では、苦戦したかも…って、14両のオデッサ戦車どういう風に使った
んだろうね、ルーマニア軍も。

159 : :02/07/28 23:07 ID:7SahHPgk
今夜の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ Uボートの遺書 他
http://live.2ch.net/test/read.cgi/endless/1027802618/

160 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/28 23:28 ID:???
>159
スレタイトルをよく見れ。
このうすぱか!(w

161 :名無し三等兵:02/07/29 00:00 ID:???
↑いつになく毒舌だ(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
実況板はコヴァ厨多そうだから軍事実況板つっくてほすい。

162 :名無し三等兵:02/07/29 00:11 ID:52fwIj8b

軍事実況・・・
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

163 :名無し三等兵:02/07/29 01:35 ID:???
東欧の外交事情はどんなもんでしょ?
とりあえずポーランドはどうやったら崩壊されずにすんだんでしょ?
新生国家にゃ辛すぎる位置だよなぁ…

164 :軍事実況というと:02/07/29 01:58 ID:???
【小ブッシュ】第二次湾岸戦争実況スレ Part24【フセイン】
1 名前:陸上防衛隊名無しちゃん 投稿日:0X/XX/XX 21:44 ID:JgSDf
   イラク空軍起死回生のカミカゼアタックにより、空母J.F.Kあぼーん!
   急転直下の湾岸情勢はどうなるのか?>2以降に過去スレ

165 :名無し三等兵:02/07/29 02:00 ID:???
>163
ポーランドに限った話じゃないですけど。
西にドイツ
東にソ連ですからね。

ダンツィヒをドイツに返還して不可侵条約を延長・・・しても無駄かな?

166 :名無し三等兵:02/07/29 04:57 ID:???
>>153
レンドリースされたM3軽戦車はルーマニアも捕獲したようですね。
あまり有効利用されなかったようですが・・・。

>>155
あとはごく一部の部隊ですがセヴァストポリの攻略に参加したようです。

ルーマニアはソ連相手にわりに損害を与えたりもしていますけど、
受けているダメージがシャレにならないくらい大きいですね。

>>156
>しかし、ラスカンを改めて見てみると中古兵器オンパレードやね。
まあ盟主たるドイツだって連合国に比べれば遥かに貧乏で、
中古兵器の再利用を積極的に行っていた事を考えれば・・・。

167 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/29 22:50 ID:???
>160
そんなに毒舌ですか?
ちゃんと(wを付けてたんですけど…。
あ、(藁の方が良かったでしょうか?

>163
1933年にHitlerが政権を取ると同時に、英仏と共同で宣戦布告してドイツを
攻めれば良かったでしょうね。
後は、1936年のラインラント進駐時に仏と語らって、ドイツに侵攻すれば
良かったのでは?
当時はドイツも戦争準備がままならなかったですし、フランスにしても、
アルザス・ロレーヌが手にはいるなら、乗ったかも知れませんね。

その頃、ソ連は内部でエライことになってましたし。
1920年代ではポーランドはソ連に勝利してますし。

>166
ま、みんなビンボが悪いんやと言うことですかね。

168 :名無し三等兵:02/07/30 01:22 ID:???
ブルガリアでのB.534。
対空戦闘はダメダメだったが、後半襲撃機として使われたり、
偵察任務で使われたりして少しは活躍したのか?
ちなみに大戦末期にドイツのBf-109と戦ったりもしたらしい。
ttp://www.dalnet.se/~surfcity/avia_bulgaria.htm

169 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/30 22:23 ID:???
>168
それなりに活躍はしたんだろうね。
でも、ブルガリアの初期の国籍表記は凝っていて良いなぁ。

そう言えば、B.534でチューリヒ国際軍事飛行競技会で代表となって活躍した
フランティシェク・ペリナという人は、国がドイツに占領された後、フランスに渡り、
Do-17を4機、He-111を1機共同撃墜し、Ju-87を2機確実に撃墜、2機を不確実
撃墜するなど、公認11機、不確実2機を記録し、更に英国に渡って、英国で1機
撃墜。
戦後は、チェコに戻ったものの共産化で国を捨て、英国空軍に復帰。
1953年には飛行隊から引退を命じられ、カナダ、米国でビジネスマンとして成功した
らしい。

もう一人、亡命チェコ人としては、ヨゼフ・シュテフリクという人がいて、この人もフランスに
亡命して、6機を撃墜。
英国に渡って更に撃墜機数を伸ばし、1944年にソ連で編成されたチェコ戦闘機隊に志願。
La-5で2機を撃墜して、戦後は新生チェコ空軍で教官を務め、亡命することもなく、平穏に
生涯を終えたとか。

170 :名無し三等兵:02/07/31 21:32 ID:???
同じくチェコからイギリスに亡命したKarel Kuttelwascherは
夜間戦闘(夜間進入)に従事していたそうです。
夜中にコソーリとフランスにある、
ドイツ軍の空港を襲うという任務を何度もこなしていました。
公式な数字は存知あげないのですがHe111、Ju88、Do217を中心に
少なくとも15機〜(20機前後?)くらいは撃墜していたようです。

戦後はチェコを捨てイギリスで民間機のパイロットとして
暮らしていたようですが、1959年に心臓発作で亡くなりました。

171 :名無し三等兵:02/07/31 23:07 ID:???
液冷エンジンのせいかAviaB.534は側面からみると、
スマートで複葉戦闘機とは思えん。

172 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/07/31 23:28 ID:???
あと、Mr.Brownことジャン・ツムバッハという人もいましたね。
チェコ、ルーマニア、フランス、英国と渡って、戦後にビアフラ空軍で
活躍した人ですか。

>171
チェコが解体されていなければ、Hurricaneのような発達の仕方も
あったような気もすると言ってみるテスト。

173 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/08/01 00:43 ID:idXJ6Js9
>172
ビアフラということは傭兵ですか。
国に帰れなかったのでしょうか・・・。

174 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/02 20:58 ID:???
昨日カキコできなかった(鬱。
>173
大戦後、一旦国に帰ったのですが、共産主義体制に嫌気がさして亡命。

フランスとかで時計の密輸業者兼エアタクシー業者をやってましたが、
フランスで余剰となったB-26をアフリカに運ぶ仕事を引き受けたのが運の
尽き。
そのアフリカの届け先で、B-26に乗るパイロットがいなかったのと、政府軍
の攻撃に持ち前の反骨精神がカマを擡げ、ビアフラ空軍に荷担して、政府
軍陣地を散々攻撃した人らしいです。
最初が、ビアフラで次がカタンガだったかな。

人呼んで「Mr.Brown」その機体にシャークマウスが書かれていたので、空の鮫
と呼ばれていたらしいです。

んでもって、今日は暑さに脳がやられて、気が付くと「第二次大戦のポーランド人戦闘機
エース」と「Stalinの外人部隊」を買ってしまいました。

この「Stalinの外人部隊」という本の作者はゴシュトニー・ペーターでマジャールの人。
1999年に亡くなられたそうですが、1956年のハンガリー動乱でスイスに亡命した予備
士官だった人だそうです。

この人の著書に「Hitlerの外国軍」「赤軍 1917-1939年」、「第二次大戦とハンガリー陸軍」
と言う本があるのですが、学研さん、これらの本も引き続き出して下さいよぉ。

175 :名無し三等兵:02/08/03 00:51 ID:???
ソ連といえば1941年頃、
TB-3にI-16を寄生させてルーマニアの油田攻撃してましたね。
あ〜ゆ〜の見るとソ連カコイイとか思ってしまう。

176 :名無し三等兵:02/08/03 01:38 ID:eAPrFTFW
ポーランド軍の拳銃・小銃・機関銃の内、拳銃と機関銃は
米国(というかブローニング)系ですが何か理由があるんでしょうか?

177 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/03 21:08 ID:???
>175
橋梁爆撃とかにも使われていましたね。
片道の燃料であれば、あれ、基地に帰投できたのでしょうかね。
流石に5機はぶら下げなかったのでしょうが。

>176
ポーランドと米国というのは意外に結びついていますからね。
古くは米国独立戦争で、ポーランドのコシチュッシュコ将軍が独立派に加わって
います。
この人は1794年のポーランドの反乱で活躍した人です。
また、1920年の対ソ戦では、米国人義勇兵による「コシチュッシュコ」飛行隊が編成
され、活躍しています。
1918年独立以後も米国の投資がある程度あったのと、拳銃とかの設計者が米国帰り
の人だったんじゃないでしょうか。


178 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/08/03 23:40 ID:A8Uba1u5
>眠い人さま
ビアフラというと東欧ではないですが、フォン・ローゼン伯も
行ってませんでしたっけ。

スターリンの外人部隊、マジャール人の著者ですか。ハンガリー
関連とあれば買わないといけませんね。


179 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/04 21:29 ID:???
>178 ギシュクラ・ヤーノシュ氏
そうですね。
二代目フォン・ローゼンの方でしたっけ。
MFI-15にロケット弾括り付けたり、C-47で空輸したり…。

今日は本の山を崩してました。
並木書房の第二次大戦各国軍装全ガイドと言う本がありまして、大戦で戦った
全世界の軍の主な軍装が出てるものです。

マジャール陸軍機動旅団憲兵隊の軍曹、帽子は黒のフェルト帽に雄鶏の羽根飾りだったが、
東部戦線でフェルト帽はすぐに姿を消し、布製のカーキ色の制帽に同じ雄鶏の羽根飾りになり、
最後はドイツと同じ胸章になったとか。
4万の兵力と160両の戦車で東部戦線に出動するも、ウマンの戦いで26,000名の兵と戦車の90%、
車両1000台を失って、騎兵隊を残して1941年12月6日、ブダ=ペシュトに撤退。

マジャールの第一機甲師団の少尉、チェコ陸軍形式のオーバーオールと、イタリア陸軍と同じ戦車帽
を着ている。
同師団にはLT-38が38両、トルディが2両、II号戦車22両を装備していたが、あっという間に席巻された。

マジャール王国空軍は、1939年1月1日に独立したので、基本的には陸軍の制服と同じものを着ている。
パラシュートとかの装備は当初、イタリア製だったのだが、後にはドイツ製が主力になったとか。

矢張り、軍装関係は軍の装備に関係していたのかなぁ。

ちなみに、ルーマニア軍のヘルメットはオランダ陸軍と同型だったそうだ。




180 :名無し三等兵:02/08/04 22:25 ID:???
>>179
WW2のルーマニア軍の事を取り扱ったホームページの
題名になっているぐらいですからな、オランダのヘルメットは。
http://www.armata.home.ro/index.htm

181 :176:02/08/05 00:18 ID:???
眠い人さん、ありがとうございました

182 :名無し三等兵:02/08/05 20:46 ID:???
ルーマニアはルノーR-35もそのまま使わずに、車載機銃を変えたり、
主砲をソ連のT-26やBT-7につまれていた45mm砲に換装したりしていたようですね。
涙ぐましい・・・。

183 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/05 22:37 ID:???
>180
うぉぉ〜、多謝でする。
しかし何でオランダのヘルメットなんでしょうね。
軍事的な関係から言ったら、ドイツ、イタリアとかフランス、それに英国風な
ものでも良いような気がしますが。

>181
確たる答えでなくてスンマソン。
本を掘り出せば書いてあると思うのですが、行方不明の本が多すぎて、何処
にあるのやらと言うことで、推定で書いてしまいますた。
どなたかのフォローキボンヌ。

>182
矢張り貧乏陸軍…(以下略。
ま、必要は発明の母と申しますし…ってフォローになってないやん。

184 :名無し三等兵:02/08/06 00:56 ID:???
丸の97年6月号にハンガリーやルーマニア等の戦車の紹介記事が載っているので、
買ってみたのですが特に変わった事は書いてなかったです。

ただ、戦前にハンガリーで戦車を開発していたニコラス・ストラウラーという人物が
紹介されていたのは興味深いです。
彼は1937年〜1938年にかけてV-3、V-4という当時としては
わりに優れた軽戦車を開発していたのですが、
ハンガリー軍には採用されなかった為、彼は失意のうちにハンガリーを去り、
後にイギリスで各種装甲車両の設計をする事になったそうです。

あと97年7月号ではWW2頃のスウェーデンの軍用車両の紹介記事が載っていました。
チェコやハンガリーなどに関係した内容ですので…念の為。

185 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/06 21:07 ID:???
>184
ニコラス・ストラウスラー氏って、アルヴィスとかヴィッカースで軽戦車とか
装甲車を設計していた人ですね。

最初はアルヴィス・ストラウスラー商会で1937年に自社開発した軽戦車。
エンジン二基で左右の履帯をそれぞれ駆動し、走行装置は一体構造とした
ものを車体中央に固定し、両端に大径の外部転輪と、小径の誘導輪で構成
したボギーを前後に取り付けたもの。
当時としては驚異的な67.5Km/hを狙ったけど、試作のみで中止。
これはV.4と同じ機構ですね。

で、大戦ではシャーマンなどに使用されたDDの開発をした人ですね。
結構、天才肌の人かも知れません。

186 :名無し三等兵:02/08/07 20:55 ID:???
失礼しましたストラウラーではなくストラウスラーですね。
丸の記事でもストラウスラーと表記されていました・・・。
ハンガリーのチャバ装甲車もこの人の設計のようですね。

こういう人物をとり逃したのは勿体無いですけど、
そのかわりハンガリーはライセンス生産には熱心だったですし。
オリジナルの戦車を作るより、
スウェーデンなりチェコなりある程度実績のある所の作った戦車を
ライセンス生産した方が確実なのも事実ですからね・・・。
あとスウェーデンの対空戦車L-62を早い時点に取得して各種試験を行った後改良し、
1940年にニムロッドとしてライセンス生産したのは立派ですよね。

187 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/07 22:30 ID:???
>186
どこかで見たなぁと思っていたら、チャバ装甲車は英国のアルヴィス・ストラウスラー
モデルIIID装甲車と同型なんですわ。
いや吃驚。
確かに自分が設計したものを何処で製造しようが関係ないですけど…。

モデルIIID装甲車自体は、陸軍で不採用になり、英国空軍で使われたらしいの
ですが、他にも蘭印とかポルトガル、そして我が日本でも使用されていたのですね。
日本は海軍だったようですが…。

188 :名無し三等兵:02/08/08 19:49 ID:???
あ〜勘違いしていた。
ストラウスラー氏ってハンガリー人だけど、
戦前からイギリスに住んで軍用車両の開発を行っていたんですね。

189 :名無し三等兵:02/08/08 22:09 ID:???
>戦前
じゃなくてV-3、V-4を開発する前から

190 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/08 22:19 ID:???
>188
気にしなさんな。
間違いはよくあることっす。

そう言えば昨日、例の「泥まみれの虎」買ってきました。
エストニアのナルヴァの戦いだけでなく、東プロイセンなどからの脱出行
の話も記載されていまして(マンガはまぁ置いといて)、結構参考になりま
した。
満州にいた日本人も真っ青の脱出行が淡々とした筆致で書かれていま
したね。

191 :名無し三等兵:02/08/09 20:16 ID:???
泥まみれの虎はまだ読んでなかったりする。
雑想ノートすら読んでなかったり・・・。
昔、模型雑誌に載ったインタビュー記事(?)を読んだ事があるので、
氏が相当重傷な軍ヲタだという事は存じ上げてはいるんですけどね。

192 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/10 00:06 ID:???
>191
今回の本は宮崎氏の妄想ばかりではありませんよ。
高橋慶史氏の読み物二篇と、エストニア史、オットーカリウス氏のインタビューもあって
なかなか読み応え有りそうです。

ま、そっち(宮崎氏)は置いとくとしても、エストニア史が日本のメジャー(と言っても良いかな)
な本に取り上げられたのは初めてなんじゃなかろうか。
リトアニアは元々国が大きかった所為もあって、結構取り上げられることがあるのだけどね。

流石にエストニア史と言っても、この本では筆者が歴史学者の卵だから、軍備の話までは
拡がらなかったけどね。

193 :名無し三等兵:02/08/11 11:46 ID:no3j0vJs
戦前のバルト三国の軍備とか政治方針とかはどういう感じだったんですか?

194 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/11 23:02 ID:???
暑いですねぇ。

>193
海軍は、>23辺りで触れていますが、国に似合わず精々潜水艦の配備くらいです。

陸軍は余り資料がないので、フォローキボンヌ。
確かエストニアとラトヴィアはフィンランドとほぼ同じ、リトアニアはポーランドを模範にして
いたような。

エストニア陸軍の戦車は1918年に英国が派兵した際に残した、Mk.V重戦車があって、
1924年にルノーFTを買い付けています。
1934年にポーランドからタンケッテTKSを買っていますね。

ラトヴィア陸軍の戦車は1920年?に英国の重戦車Mk.Vと中戦車Mk.B、1929年にルノーFT
軽戦車を装備しています。
1930年にはフィアット3000B、そして1938年にタンケッテのカーデンロイドM1936を18両装備して
います。

リトアニア陸軍の戦車は結構充実していまして、1925年にルノーFT M1917-1918を導入して、
タンケッテはカーデンロイドM1933を18両1934年に調達、1938年にはチェコのCKDからLTL
(38(t)戦車の原型)を21両導入し、ポーランドとソ連との仲がきな臭くなってきたので、スウェー
デンのランツベルク社からL-10中戦車の導入を進めていました。

195 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/12 00:16 ID:???
続きです。

空軍はラトヴィアが一頭抜きんでていました。
正確な情報は、埋もれている年鑑を出さないと出てこないですが(苦藁)…。

エストニア空軍は、Bulldog戦闘機12機が主力で、Ansonが導入されようとしていました。
練習機でAvro626が4機、その後継機はMiles Magisterが1機、Letov S.218連絡機が数機。
あと国産で、PTO-4と言う低翼単葉の練習機を2機試作しています。
国籍マークは国旗のブルー、黒、白の逆三角形。

ラトヴィア空軍は、「燃える薪」ことGladiator戦闘機26機が主力、他にBulldog戦闘機が
12機とDewoitine D.501Lが14機、P.Z.L.P.11が数機にHawker Hind練習機が3機、
Letov S.218連絡機が数機。
海軍航空隊に、Fairly Seal水上偵察機が4機、Dornier Do-22水上雷撃機が4機。
戦闘機の主力として、Morane-Saulnier M.S.406を調達するも引き渡しは為されず。
国産機として、国営電気機械工場で、I-12なる軽飛行機を12機ほど生産した。
国籍マークは白地に臙脂のスワスチカ。

リトアニア空軍は、おなじみGladiator戦闘機14機が主力で、Ansaldo A.120軽爆が24機。
他にAvro626練習機が4機、D.H.89M哨戒機が2機、Letov S.218連絡機が数機、
Bucker Bu-133C練習機が4機。
国産機として陸軍航空機工場がAndo41と言う高翼パラソル式の偵察機を20機ほど製作
しています。
あと、P.Z.L.P.50試作戦闘機などポーランド崩壊時に少数の機体が逃れていますね。
国籍マークは臙脂の淵付のロレーヌ十字(キな感じのやつね)。

なお、機材は併合時に殆どがソ連に接収されています。
また、ラトヴィアに関してはラトヴィア航空軍団というのが、ドイツ空軍に1944年8月に誕生
しています。
3個夜間爆撃中隊、航空学校、1個対空砲大隊などで628名から構成されていました。

196 :名無し三等兵:02/08/12 20:18 ID:???
ラトヴィアがなんか良さげですね・・・。
開戦当時の小国の持ち物としてはグラディエーターはそんな悪くないと思うし。
P.Z.L.P.11もあるし、M.S.406も発注してるし。
海がある以上海軍航空隊があって水上機を持っているのは
可笑しくないんだろうけど、なんかいいなあ。
所持している戦車ではリトアニアに負けてるみたいですけど・・・。
あとこういう小国でも空軍はちゃんと独立しているんですね・・・。

リトアニアに逃げたP.Z.L.P.50試作戦闘機が激しく気になるんですけど、
これって低翼単葉形式のヤツですよね。

197 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/12 21:44 ID:???
>196
少し修正。
リトアニアは陸軍の一部で、独立してませんでした。
で、リトアニアはメーメル地方を巡ってポーランドと対立してたので、それなりの
陸軍軍備が必要になったのでしょう(同地方は後にポーランドに割譲させられて
いたのかな)。

ま、Gladiator戦闘機は全世界の小国御用達戦闘機ですからね。
D.501については写真はあるんですが、スペイン人民戦線政府に売却されたと言う話も
あります。(サウジ向けの機体が転売されたという説もあるのですが)

空軍機材の近代化ですが、リトアニアもM.S.406を購入予定、エストニアはフォッカー
G.1Bを購入予定でした。
が、国が消滅したり、相手が消滅したので引き渡されませんでした。
余談ですが、冬戦争でフィンランドが活躍しているのを見たバルト三国の軍部が、
「スウェーデンが一緒に戦うのなら、我々もソ連相手に反乱を起こす」と言っていた
そうです。
スウェーデンが立たなかったので沙汰止みになりましたが。

P.Z.L.P.50は本来、P.11の後継機として生産される予定だったもので、エン
ジンはMercuryですが、低翼単葉となり、後方引込み脚を採用していました。
丁度、Re-2000とかP-35そっくりだったり。
ただ、性能は劣悪で1機のみの試作に終わり、新戦闘機はイスパノスイザ12cr
系のエンジンを積んだ機体が設計されていました。

198 :名無し三等兵:02/08/14 18:36 ID:PAZAvvW/
下がりすぎにつきage

199 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/14 23:40 ID:???
明日から日曜日まで実家に帰ってましてNetに繋げられるだろうか状態。
このまま落ちるかも…。

東欧の水害もスゴイ状況みたいで、Pragueの日本大使館も移転したとか。
ギシュクラ・ヤーノシュ氏とかSu-47信者(狂信的)氏は大丈夫だろうかと
思ってしまいます。

200 :名無し三等兵:02/08/15 01:02 ID:???
行ってらっしゃい

>東欧の水害
確かにヒドイですね・・・。

201 :名無し三等兵:02/08/16 00:58 ID:MI0v3QHA
保全

202 :名無し三等兵:02/08/16 01:06 ID:p/KI4sgq
>201
どうせならなんか話題振ってくれ。
私はネタ切れ。

203 :201:02/08/16 01:17 ID:???
数学者兼大道芸人のピーターフランクルって人がいますな。
彼はユダヤ系ハンガリー人なんだが、彼の父が大戦中に
矢十字党のユダヤ人狩りに遭遇してやばかったってさ。
怖いね。ソースはNHKの番組。

204 :名無し三等兵:02/08/16 02:10 ID:p/KI4sgq
>203
人に歴史ありですな

私はスレッド的に参考になりそうなページとか貼っておきます。
有名所&既出なのは勘弁して下さい。

世界各国の軍用機
ttp://www.d-b.ne.jp/t-key/world/world_menu.htm
世界各国軍用機の国籍標識
ttp://www.qnet.com/~moonbase/roundels.htm
世界各国有名エース
ttp://www.elknet.pl/acestory/aces.htm

世界各国の軍用車両
ttp://isweb13.infoseek.co.jp/photo/combat1/index.html
ttp://mailer.fsu.edu/~akirk/tanks/
ttp://www.wwiivehicles.com/index.htm
世界各国の編成
ttp://www.freeport-tech.com/WWII/index.htm
ttp://www.geocities.com/kumbayaaa/armedforces.html

世界各国の軍艦
ttp://www.warships1.com/index_ships.htm

205 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/16 16:02 ID:???
実家の電話代を気にしつつ…。

今、例のラスト・オブ・カンプフ・グルッペ読んでます。
東欧の軍隊もなかなかどうしてやるじゃないですか。
ブルガリア陸軍の変な(といってはあれですが)戦闘の仕方も気に入り
ました。
イタリア、ハンガリーやドイツにとって見れば災厄の何者でもないでしょうが。

あと、バルト三国の歴史について書かれた本も実家から持って帰ろうかと
画策してます…。
それまで皆さんが盛り上がっていることを祈りつつ。

206 :消印所沢:02/08/16 21:06 ID:???
知り合いの方のサイトから。

洪水情報
▼16日から18日にかけてハンガリー国内のドナウ川の水位が最高値に達する予定。
ブダペストでは14日の時点で水位が830cmほどと言われていたが、
15日に入って875cmと上方修正した。
▼ブダペスト22区では洪水が発生する恐れが非常に大きいとして700人が避難することとなった。
(ハンガリー全体で1300名ほどが避難する可能性があるとのことだ)
▼青年民主同盟は今回の洪水に対する政府の対応が非常に遅いと避難。
政府はこれに対し「ちゃんとやっている!」と主張。
▼ブダペスト市長のデムスキー・ガーボルは市民に対し「洪水の被害を最小限に
食い止めるための作業に参加してくれる人を求む」と発表。
▼プラハでは相変わらず最悪の状況で、スロバキアの首都ブラチスラバでも
1万人ほどが避難しなければならない事態となっている。

ttp://www.ocsiba.hu/news/news.html

207 :名無し三等兵:02/08/17 01:47 ID:???
>205
確かにブルガリアもあの悲惨な装備でよく戦いましたね。
戦った相手も大戦末期だけの事はあってドイツ軍でも
ろくな装備をしてなかったりクロアチア軍だったり
装備の貧弱さでは似たりよったりのような気もしますけど。

しかし枢軸国にもかかわらず、連合国相手にはロクに戦わずせいぜいパルチザンを相手にしたぐらい。
(連合国機を迎撃したりもしてますけど)
天然資源を巡って味方のイタリアと武力衝突を起こしたり、
挙句の果てには抵抗も無くソ連に占領されて新政府が対独参戦。
ドイツがブルガリアに貢いだ装備も結局ソ連相手ではなく
ドイツ相手に使われたと云うのは・・・。


>206
とりあえずハンガリーはそれ程でもないんでしょうか。
Su-47信者(狂信的)さんとか元気やっているといいですね。
チェコあたりが一番悲惨なのかな?

208 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/08/18 16:33 ID:GoywbWYD
無事、帰国しました。
ご心配してくださった皆様、ありがとうございます。
豪雨だったので車中からしか見ませんでしたが、バンスカ・シュテアヴァニッツァ
で公園に装甲列車が置いてあってびっくりしました。
こんなの現物がよくあったなぁ・・・・。

209 :名無し三等兵:02/08/18 17:39 ID:???
>208
お帰りなさい。
また大変なタイミングで逝ったんですね。
ご無事で何よりです。

210 :Su-47信者(狂信的):02/08/18 17:41 ID:???
みなさま、ご心配かけております。
実はまだ日本にいます。スマソ
ハンガリーの大学準備学校?(今回は語学習得が目的なのです)
の授業が九月からなので出発はこれからです、というか水がひ
いてからにします。
 しかし留学ビザの取得も最近はとても厄介になった様ですね。
 去年までは大使館で決済してビザを出してくれていたそうな
んですが、今年からは本省決済でハンガリーの法務省に書類を
回すので発行に一ヶ月ほどかかるそうです(泣
下手をすると授業に間に合いません(大泣
 アジアからの出稼ぎ不法入国者を警戒しての措置らしいんです
がなんとも面倒です。

211 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/18 21:40 ID:???
自宅の肋屋に帰還しました。
日本も台風の当たり年で大変ですね。

>208 ギシュクラ・ヤーノシュ殿
ご無事で何よりでした。
彼地の濃い話をまた聞かせて下さいませ。

>210 Su-47信者(狂信的)殿
矢張り、中国人民の侵攻が彼地に於いても止まらないと言うことでしょうか。
折角向学の志に燃えた人が泣くなんて…何はともあれ、頑張ってください。
でも、水害で意外に授業開始が遅れたりするかも知れませんよ。

さて、実家の自分の書庫を漁って、ちょっとこのスレのネタになりそうなもの
を少々仕入れてきました。

グリーンアロー出版の亡命空路には連合国に亡命した各国の空軍の話が
書かれており、PolandのHawk PublicationのI.A.R.80/81のIn Action。
Squadron社のWarsaw Pact AIR FORCES…には戦後すぐの貴重な写真
もいっぱいあります。

それから、スロヴァキアの出版社が発行した、Slovak Airman。
スロヴァキア空軍の歴史と、亡命したスロヴァキア人パイロットの戦歴など
が書かれた本です。

あと、文庫クセジュのバルト三国。
なかなか、第一次大戦末期から占領までの歴史は複雑ですね。

212 :名無し三等兵:02/08/19 01:45 ID:???
おお、みなさんお帰りなさい。

>211
スロバキアはチェコ・スロバキアから分離独立して
枢軸国側としてポーランドや対ソ戦にも参加していましたね。
もっとも規模が小さいので戦局に寄与したとはいえないかもしれないけど。
使用機種は後半はBf-109を使ったりもするけど、序盤は当然AviaB.534。
独立直後領土問題で揉めているハンガリーと戦ったりもしたけど、
この時(AviaB.534で)ハンガリーの主力戦闘機だったCR.32と戦って何機か落としているみたいですね。
あと対ソ戦ではI-16落としたり。

チェコ・スロバキアって陸軍兵力が40個師団近くもあったみたいなのに戦わずに消滅って勿体無いですね。
独力では対抗は無理でもやりようは無かったのかな?

213 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/19 21:38 ID:???
>212
チェコ=スロヴァキアは1939年当時1480万人の人口を有していました。
そのうち、チェコ人、スロヴァキア人は970万人。
残りは、320万人のドイツ人、69万人のマジャール人、55万人のルテニア人、
18.7万人のユダヤ人に、6.9万人のポーランド人がいました。
正に民族の坩堝状態です。

んでもって、チェコ=スロヴァキア解体には周辺諸国が全て参加していました。
ドイツへはズテーテン地方を主に割譲し、その後チェコ地方をベーメン・メーレン
保護領としています。
で、マジャールにはスロヴァキアの南部の一部とカルパティア=ウクライナ全域、
ポーランドですら、北モラヴィアとスロヴァキア北部の一部を獲得しています。

この状況で戦うのは無理でしょうね。
補給路としてはソ連くらいしかないですが、ソ連も友好国とは言えません(戦後、
カルパティア=ウクライナ地方は割譲されていますし)。

214 :名無し三等兵:02/08/19 22:42 ID:???
>213
ヴェルサイユ体制下のぐちゃぐちゃな領土の分配の影響なんでしょうけど、
あの頃の東欧は領土問題で大変ですね。
火種がそこかしこにある。

215 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/20 22:44 ID:???
>214
今でも領土問題は其処此処に燻っては居ますが、第二次大戦終了後の
各国からの追放、粛清、領土変更で大分マシになってますね。

ポーランドのカーゾン線への移動とウクライナ、白ロシアへの領土割譲と
ドイツ人追放で、ポーランド人が多数派を形成していますし、チェコ=スロ
ヴァキアもズデーテンのドイツ人、カルパティアのマジャール人、モラ
ヴィアのポーランド人追放、ルーマニアのトランシルヴァニアからのマ
ジャール人追放とか色々ありましたから。

それ故に安定していると言う話もあるんですけどね。

216 :名無し三等兵:02/08/20 23:39 ID:???
「泥まみれの虎」をようやく読みました。
とりあえず宮崎さんの漫画ですがあの周辺の地形や状況が分かるように描かれているのはヨカタです。
エストニア方面の戦いは余り知らなかったのですが、
高橋慶史氏が実に分かりやすく解説なさっていたのも良い感じですた。
それにしてもエストニアはメインの戦場ではないとはいえ、
あの時期のドイツ軍の部隊は驚く程に薄いですね。
それとあの辺りは沼沢だらけで戦争やりにくそう・・・。
写真見るととても綺麗な所なんですけどね。

あの本を読んで気になったので外務省のホームページを見てみたのですが、
今現在のバルト三国における民族の比率。
特にエストニア、ラトヴィアはロシア人の比率が結構多いようですね。
あの本に出ていたエストニア人の気持ちが分かる気がします。

217 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/21 23:12 ID:???
>216
そいでも、心ならずも「ドイツの支配の方がマシ」だったようです。
ユダヤ人には災厄でしょうが…(ラトヴィアで9万人、リトアニアで20万人が、
強制収容所で殺されています)。

1940年、リトアニアにはデガゾノフと言う共産党指導者がやってきました。
この時彼はリトアニアの国会議員にこう言ったそうです。

「あなたはリトアニアの独立について話している。窓の外を見給え。ソヴィエトの
 戦車と部隊が見えるだろう。我々の戦車の着いたところに、自由もやってくるのだ」

1940年から41年に掛けて、10万人のラトヴィア人が逮捕され、3万5000人以上が流刑と
なり、ついでに戦後、ソヴィエトが帰ってきてから、リトアニア人は55万人が流刑となり、
処刑されています。
また、ラトヴィア人は海岸部を中心に20万人、エストニア人は6万人がこういう目に遭って
います。

これに対し、ソヴィエトは貧しい地域から移民を入れてきて、1989年にはエストニア人は
1959年から15%減って60%に、ラトヴィアでは10%減って52%になりました。
リトアニア人だけが、79.4%と微増しています。
これは、リトアニアがカソリックだというのが原因かも知れません。

なお、1953年まで、エストニアではメッツァヴェナード、リトアニアではミスキニヤイによる
武装蜂起が続いていました。
ラトヴィアが最後までドイツ軍支配下にあったので、その武器をもって地下に潜伏した元
ドイツ軍編入のエストニア、リトアニア兵が湿地帯などでゲリラ化したものです。

そうそう、ナルヴァ地区ですが、ソヴィエトは相当懲りたのか、ナルヴァ川から少しロシア
領に入っていた部分を1945年に割譲させています。
ついでに、エストニア南部の一部とラトヴィアの北東部も割譲させていますね。

218 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/08/21 23:36 ID:z1T4G1nC
失礼、バンスカ・シュテアヴァニッツァではなくズボレンの城の横の
公園でした。

眠い人さま
トランシルバニアのマジャール人・ドイツ人問題は未だに根深いもの
があります。
また、スロバキア南部でもマジャール人との軋轢はありますね。



219 :名無し三等兵:02/08/22 01:54 ID:???
>ズボレン
色々ホームページを見て回ったんですけど、絵になる所がとても多いですね。
歴史というものが凄く感じられます。
対独蜂起の際には重要な役割を果たしたらしいですね。

装甲列車Hurbanか・・・ドイツ相手に戦ったって事ですよね。

http://www.army.sk/AHurbanrmada/Cvicenia/COCH/zvolen.htm

220 :名無し三等兵:02/08/22 01:57 ID:???
違った〜
http://www.army.sk/Armada/Cvicenia/COCH/zvolen.htm

221 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/22 23:10 ID:???
>218 ギシュクラ・ヤーノシュ様
トランシルヴァニアは未だに両国確執の火種ですね。
相当少なくなったと言え土着の人は結構いますからね。

>219
スロヴァキアの対独蜂起と言えば、その頃まで生き残っていた、Letov S.328
がドイツ軍の頭上に爆弾の雨を降らせて、ソヴィエト方面に遁走したとかいう
話があったような気がします。
もしかしたらクロアチアの話と混同してるかもしれませんが。

222 :名無し三等兵:02/08/23 00:47 ID:???
>221
ドイツ側に迎撃する意思があれば一発で落とされそう。
とはいっても単発単座の戦闘機なんかと違って
この手の機種は多少旧式でもスペックが劣っていても
いくらでもつぶしが利くのが強みですからね。

Letov S.328の水上機型はどこで使うつもりだったのでしょうか?輸出用?
ブルガリアのも陸上機型みたいだし。

223 :名無し三等兵:02/08/23 10:13 ID:???
スロヴァキアの武装蜂起はあっさり潰されるんですよね?

224 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/24 01:07 ID:???
>222
まぁ、Po-2みたいなのも、第一線にいましたからねぇ。
まして、スロヴァキアは東部戦線の第一線に比べれば田舎ですから、複
葉機でも実用になったのでしょう。
クロアチアでは、1943年くらいまでパルチザン狩りにブレゲー19を用いて
いましたし。

S.328の水上機型ですが、S.328Vと言う名称で、4機製作されたそうです。
任務は標的曳航だったようですね。
何処かの湖から作戦してたんでしょうか。
元々、フィンランドからの注文で試作されたものなので、フロートの装着も
考慮されていたのだと思います。(フィンランドには引き渡されてないけど)

>223
それでも、1944年8月25日にドイツの軍事顧問22名が殺害されてから、SS
戦闘団Schillにより、9月末にスロヴァキア軍司令官、参謀長が投降するまで
全土で反乱が続いたので、あっさりというわけにはいかなかったようですね。

225 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/08/24 18:30 ID:0uiDl7Bo
眠い人さま
対独蜂起の記念館はバンスカ・ビストリッツァにあります。
ここにも装甲列車が置いてあるそうです。
行くつもりだったのですが、台風並の豪雨で断念しました。

あと、ポーランド国境近くの小さな村の教会を見学していた
ら、祭壇の下にレジスタンスを匿ったという地下室の入り口
があるのを見せてもらいましたよ。

226 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/25 01:09 ID:???
>225 ギシュクラ・ヤーノシュ殿
素朴な疑問なのですが、それらの装甲列車って一体何処の国のなのでしょう。
チェコのものだったのでしょうか。
それとも、ドイツのものを分捕ったのでしょうか?
この辺、漏れも門外漢なので、詳しい人の登場を待ちたいところです。

今日は、書店で中公新書の新刊、「物語 ウクライナの歴史」というのを買ってきました。

ウクライナとポーランドは西ウクライナを巡って常に係争しており、1920年には亡命ウクラ
イナ人がPragueで「ウクライナ軍事組織」(UVO)を作って西ウクライナでテロ、サボタージュ
とかピウスツキ大統領暗殺未遂などを起こしました。
更に、学生組織を取り込んでウィーンに「ウクライナ民族主義者組織」(OUN)を作り、ポー
ランド内相、リヴァウ警察署長、ソ連領事の暗殺を行っています。

ちなみに、ウクライナ民族主義者とは日本軍部も接触していたそうです。

ドイツのソ連侵攻で、彼等OUNの一部(このころには二派に分裂していた)は、ウクライナ
独立を宣言しましたが、未承認の越権行為だったので潰され、協力から抵抗に変わりました。
1943年に4万の兵力、1944年には10万の兵力で、ドイツ、ソ連と戦い、殆どのウクライナ
地域を支配していたそうです。
戦後も1950年まで抵抗は続けられ、最終的に終息したのは1959年に指導者が暗殺されてから
だったようです。

その最盛期の1947年にはポーランドの国防次官を待ち伏せで暗殺し、これに対抗してポーランド
軍は「ヴィスワ作戦」という名称で、ポーランド軍3万人を投じてUPA軍を包囲し、殲滅したとか。
最後に生き残った400名は、ポーランドからチェコ=スロヴァキアを戦いながら通り抜け、オーストリア
を経由して、ドイツの米軍占領地にたどり着くと言う事をやってのけたそうです。

227 :消印所沢:02/08/25 03:14 ID:???
そう言えば、「ソビボーからの脱出」という、
ロシア?にあったユダヤ人強制収容所の蜂起の話を扱った映画では、
ドイツ軍装備のウクライナ兵が看守をしていました。

228 :名無し三等兵:02/08/25 23:15 ID:???
>>227
ポーランドの強制収容所らしい。
ウクライナ人もソ連よりかはナチスの方がまだマシと考えて協力するヤツが多かったですからね。

229 :名無し三等兵:02/08/25 23:33 ID:vksZkExF
眠い人さま
中世の話はある程度得意ですが、近代は疎いです。
装甲列車というとこんなサイトがありますね。
ttp://blinda.hoops.livedoor.com/vkg_200.html
残念ながらチェコの項は準備中のようです

教会の件ですが、一家団欒中を怪しいアジア人一行に
拉致されて案内する破目になった不幸な司教(現地の
方はパップと言ってました。)はパルチザンを匿った
としか言ってませんでした。
教会は正教会だったのでウクライナ関連の可能性もあ
るのかもしれませんね。


230 :名無し三等兵:02/08/26 06:45 ID:???
>>227
>ポーランドの強制収容所らしい。
ドイツ側名称はトレブリンカ強制収容所。
ワルシャワ近郊の強制収容所で43年8月2日に労務作業中のユダヤ人による蜂起が起きて
700人のうち500人は射殺されたが150人は逃げおおせた。
その後にドイツは失敗を隠す意味も兼ねて収容所を破壊して廃止した。
歴史的にはコルチャック先生と子供たちが送られた強制収容所として悪名が高い。

231 :名無し三等兵:02/08/26 17:40 ID:???
グランドパワー2000年1月号にスロヴァキア軍のLTvz.35に関して
一部が装甲列車の部品に使われたとの簡単な記述がありました。
ただし詳しい事には一切触れられておりませんでした。

232 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/26 23:20 ID:???
>229 ギシュクラ・ヤーノシュ様、>231

ポーランドの装甲列車についての話は見つけたんですがね〜。

ポーランドはタトラ装甲トロッコ18型というのを1926年に6両購入して、装甲列車の
前駆として使用したそうで、ポーランドは10編成を擁していたみたいですね。
そのうち、53号「シュミアウィ(勇敢)号」は、100ミリ砲2門、75ミリ砲2門、機関銃14丁
と言う重装備で、1939年9月1日にヴォーラ騎兵師団を支援し、ドイツ第4機甲師団の
攻撃を頓挫させる活躍を示しました。
しかし、翌日には戦線を第1機甲師団に突破されて撤退。
東部国境に送られて、ソ連の侵攻を受け、鹵獲され、バルバロッサで侵攻したドイツ
軍に再び鹵獲されて、装甲列車第10号になっています。

チェコのものは、彼のホームページによると、ドイツの第23列車近辺くらいですかね。
引き続き情報希う。

>230
ポーランドと言えば、その話から逃れられませんね。
ユダヤだけでなく、ロマとかも対象になったそうですし。
先日、長崎に行ったときにコルチャック先生の遺品の数々を見てきました。

233 :名無し三等兵:02/08/27 02:22 ID:???
ドイツ軍の使用した装甲列車のページ。
ttp://www.panzerzuge.com/Armoured/main.html
どうなんだろ?
>>220とか色々見て回ったけどズボレンのは、1944年の武装蜂起に縁の物らしいのですが、
第23〜第25装甲列車はもっと早い段階からドイツが国外で使っていたみたいだし。

234 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/27 22:59 ID:???
何か、チェコのズテーテンを巡って、ドイツ・オーストリアとチェコの間が
きな臭くなっているようですね。

経済が悪くなると国民の目を外に向けさせるのが常套手段ではあります
が、向けられた方は堪ったもんじゃないですなぁ。
穏便に解決するか、再び戦乱の嵐が吹き荒れるか、気になるところでは
あります。

>233
ををっ!Thx。
第23〜25装甲列車は、西部〜南欧戦線なんですよね。
で、1944年には英国との協定で、ギリシャからドイツは平和哩に撤退
しているので、もしかしたら戻った装甲列車が此処にあったのかもしれ
ませんね。

235 :Su-47信者(狂信的):02/08/28 03:18 ID:???
ビザがおりますた
しょっぱなからつまづきましたがいよいよ出発です。
それではみなさんさようなら・・・・

236 :名無し三等兵:02/08/28 20:40 ID:???
>>235Su-47信者(狂信的)様
おお〜良かったですね。一時はヒヤヒヤしましたが・・・。
いつになるか分かりませんけど、
軍板に帰ってきたらお土産話等を聞かせて下さい。
楽しみにしています。

>>234
スロヴァキアで対独武装蜂起の起こった1944年8月当時。
24、25はフランス南部にあったようです。
23は私にはよく分からないのですが、それ以降も
ドイツ軍が普通に使っているようなので別物と思われ・・・。

ズボレンの装甲列車ですが、
>>220を見た限りでは武装蜂起中にズボレンの鉄道従業員に作られたと
書かれているように思うのですが
作るのに要した時間が短いようですし(2週間?)
おそらくは既存の車両を改造して装甲列車を作ったという事なんでしょうか?
それにしても作るのに要した期間が短すぎる気が・・・。
漏れは装甲列車にまるっきり疎いので作るのにどれ位かかるとか
どう作るとかは全然分からないんですけど・・・。
それと三台の内の一台と書いてあるのですが、
バンスカ・ビストリッツァの装甲列車もここで作られた物なのでは?
(ここら辺まるっきり根拠無いです。適当に読み流して下さい。)

237 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/28 22:35 ID:???
>235 Su-47信者(狂信的)殿
いってらっさい、気を付けて。
きちんと、日の丸付けとかないと駄目ですよ。
それよりも、しっかり血となり肉となるように勉強してらっさい。
マジャールに進出している日本企業も多いからね。

>234
成る程。
「オデッサ戦車」みたいなもんですね。
有蓋貨車に鉄板(圧延鋼板でなくても良いでしょう)を貼り付け、溶接し、戦車
(これが35(t)からの流用かな)の砲塔を取り付ければ、即席装甲列車の出来
上がりですね。

しかし、これを改めてみる限り、余り大口径の砲を積んでいるようには見えない
ですね。
無いよりマシかもしれないけど…。

238 :名無し三等兵:02/08/29 21:40 ID:???
スロヴァキア単体の工業力とかはどうだったんでしょうか?
良い所はチェコに集中していたんですよね?

239 :名無し三等兵:02/08/29 23:08 ID:???
>236
>三台の内の→三編成の内の

240 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/29 23:09 ID:???
>238
今、資料が見あたらないのだけど、基本的に農業国。
だからこそ、保護国として独立形態を維持できたと言えるのではないでしょうか。
工業地帯はチェコにありましたし、工業も精々が食料生産工業くらい。
鉱物資源は石炭、鉄鉱石と岩塩。

その格差故に、チェコ人に対して含むところがあり、そこをドイツ人につけ込まれ
ました。
ところが、此処には昔からマジャール人が住んでおり、その部分は切り離されて
います。
今でも総人口の10%強がマジャール人、3.6%はロマ人、チェコ人、ルテニア人、
ウクライナ人、ドイツ人となっていますね。

241 :名無し三等兵:02/08/30 23:00 ID:???
スウェーデンではチェコのTNH(Ltvz.38の元になった戦車です。)をライセンス生産した、
Strv m/41が1957年まで使われておりました。
更に突撃砲化したSav m/43が1970年まで(コイツは見た目が最悪。)
装甲兵員輸送車化した、Pvb301が1972年まで使われていました。
ついでに戦後少数が対空戦車に改良されたりもしたそうです。

>240
・・・なんか何処に行っても複雑な人種問題あるんですね。
私は単なる兵器ヲタだったのであまり意識をしなかったのですが、
特にチェコ・スロヴァキアの人種問題は第二次世界大戦の重要な要素だったんですよね。
今更ながら認識し直しました。

242 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/08/30 23:24 ID:Pl66PtBJ
スラブを南北に分ける形で遊牧民族マジャール人が定住したのですが、
今のスロバキア地域の南部とかトランシルバニアの北部はその時以来
ハンガリー領になっちゃってのです。
トリアノン条約の線引きは相当に無茶だったと思いますな。


243 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/08/31 21:09 ID:???
チェコの戦車は色々な国に輸出されていますね。
ユーゴ、ルーマニア、マジャール、スウェーデン、ペルシャ、スイス、
ペルー、ラトヴィアと正に小国御用達。
ポーランドも同じような戦車を作っているのですが、こちらが輸出され
なかったのは機械的信頼性の不足だからでしょうか。
10TPなど、ソ連のBT並の戦車だったりするのですが。

>241-242
そも戦争の遠因の殆どは人種間の対立から生じているわけで、最近の
ユーゴ紛争、独逸、オーストリアとチェコの対立などもその典型ですね。
トルコにしても、モンゴルにしても、フン族にしても悉く攻勢終末点がこの
地域なので、モザイクはしょうがないと云えばしょうがないですね。

トリアノン条約、ヌイイー条約で引かれた線引きが現在にも影響を及ぼして
いると云えるのではないでしょうか。

244 :名無し三等兵:02/08/31 22:14 ID:???
>243
ラトヴィアは発注している内にソ連に併合されたってヤツじゃないでしたっけ?

245 :Su-47信者(狂信的):02/09/01 21:34 ID:???
いよいよ明日出発です。
KLM868便とKLM3205便が落ちないように祈っていてください。
さようなら。

246 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/01 22:20 ID:???
>245 Su-47信者(狂信的)殿

いってらっさい、気を付けて。
Netに繋がる環境があったら、また寄っといで。
それまで、このスレが保っているか怪しいけど。

それよりも、空港やら町中で殴られないようにね。

>244
19.38〜40年のうちで21両生産だから、一部は引き渡しが出来ていない状況
だったかも。
1940年6月に最後通牒、7月に選挙(と言ってもソ連お得意のやらせ選挙)、
8月5日に併合決定で、それまでは軍隊が維持されていましたし。

247 :名無し三等兵:02/09/01 22:36 ID:???
>245
いよいよですね。
勉強がんばってください。
もちろん旅の無事を祈らせてもらいます。

>246
ラトヴィアが発注したCKD LTLならばLTvz.40として
21両全てスロヴァキア軍が使用したと思われ・・・。

248 :名無し三等兵:02/09/02 05:42 ID:???
「丸」発売age

249 :名無し三等兵:02/09/02 22:58 ID:???
ポーランドの装甲列車は1920年の対ソ戦にも投入。


>248
誤爆?
今月の「丸」は読んだけどスレッド的には関係なさそうだし。

250 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/02 23:08 ID:???
>247
にゃるほろ。
スウェーデンのを徴用したと言う話は聞いたことがあったけど。
まぁ、友好国がこれから占領しようという土地に、兵器を売る国はないわな。
ここから外れるけど、フィンランドに売られたG.50はドイツが足止めして、冬戦争に
間に合わなかったらしいし。

>249
あ、そうなの?
危うく買うところだったり。

波ソ戦争、と言うか、第一次大戦後の干渉戦争とその後の流れは凄くややこしい話
ですね。
バルト三国の歴史も無関係ではないですね。
今日は疲れたので、明日以降に。


251 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/03 00:16 ID:DwdjaURA
Su-47信者さま
行ってらっしゃい。イシュトヴァーン大聖堂の傍に軍事関係の
書籍を置いた模型店があるのでぜひ行ってみてください。



252 :名無し三等兵:02/09/03 01:00 ID:95j4gYOT
盟友といえばソ連、ソ連といえばバルカン半島

253 :名無し三等兵:02/09/03 02:54 ID:???
>250
>フィンランドに売られたG.50はドイツが足止めして、
冬戦争に間に合わなかったらしいし。

ミリタリーエアクラフト1994年11月号
「冬戦争終了までドイツに足止めされてしまった。」

北欧空戦史
「第二十六戦隊は部隊訓練中に停戦」

雪中の奇跡
コレ読むと冬戦争末期に第二十六戦隊のG50が戦闘した例が幾つかしめされてる。

254 :Su-47信者(狂信的):02/09/03 03:54 ID:???
というわけで無事着きました。ローミングも簡単にできるように
なりましたね。明日はいよいよ入寮です。

255 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/04 00:10 ID:YE2hXFCG
Su-47信者さま
ウイーンの軍事博物館もお勧めです。ブダペストからバスで3時間
ぐらいですね。
現地情報を期待していますよ。

256 :名無し三等兵:02/09/04 00:12 ID:???
ポーランドの騎馬隊萌え〜

257 :名無し三等兵:02/09/04 22:41 ID:???
1920年の対ソ戦における装甲列車に関して・・・。
当然といえば当然なのですが、ご存知の通りソ連は広軌(1524mm)なのに対し、
ポーランドはヨーロッパ標準の1435mmだったので、ポーランド装甲列車をソ連領内で使う際には、
足回りを一時的に広軌に対応したものに換えられて使われていたようです。

また上記で名前の挙がっている「シュミアウィ号」は違うのですが、
第11装甲列車「Danuta」や第12装甲列車「Poznanczyk」などをはじめ
後の第二次世界大戦に使われた編成の多くが
(編成内容は当然、大分違うのですが)この戦争も体験したようです。

>>254
書き込める状況にあるのはなによりです。
マタ〜リと寛ぎたくなったら、いつでも顔を出して下さいませ。

258 :名無し三等兵:02/09/04 22:48 ID:???
>>257
主語が無いけど、ポーランドの装甲列車の話という事で・・・。

259 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/04 23:01 ID:???
やっと体調復活しますた。

>253
北欧空戦史に出てたような…。
惚けたかなぁ。
雪中の奇跡読んだけど、覚えてないです。
実家に帰ったときに、読んどかないと。

>254 Su-47信者(狂信的)氏
無事着かれて何よりです。
漏れも現地情報期待です。
ただ、勉学はしっかりとね。やれるときにやっておかないと、後悔しまする。

>256
騎兵スレがあったけど、あれは落ちたのかなぁ。

>257
装甲列車の寿命ってどれくらいなんですかね。
軍艦と同じくらい長いのでしょうかね。

260 :名無し三等兵:02/09/05 01:54 ID:???
北欧空戦史だと
「二月中旬になって、ようやく十四機のG.50がウッティ基地で慣熟飛行訓練を開始した。
続く数週間で残るG.50も全機到着」
と書かれています。

雪中の奇跡で示されている戦闘例ですが
3月9日とか3月11日の話なのでG.50が戦闘を行ったのは本当に停戦ギリギリの話のようです。

261 :名無し三等兵:02/09/05 21:54 ID:???
>>259
ポーランドの装甲列車の話ですが
編成内容は大分変わってはいますが、別の車両を装備する事もある一方で
1939年頃になってもまだ1920年頃に鹵獲したソ連製の砲車を装備していたり
ついでに1903〜1906年にドイツで作られた機関車に装甲を施して使っているようなので、
寿命はそれなりに長いのではないでしょうか。

262 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/05 23:55 ID:4vffrl3S
斎木伸生氏の新刊「世界の軍事要塞」が本屋に並んでました。
チェコ・フィンランド・ロシアなんかが取れ上げられてます。
要塞というとルーマニアで五稜郭の親戚のようなやつをいくつ
も見ましたよ。

263 :名無し三等兵:02/09/06 00:04 ID:???
>>262
読んでないけどフィンランドはミッケリあたりが、
ロシアはセヴァストポリあたりが取り上げられていると想像。

264 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/06 00:15 ID:???
>263
フィンランドは、マンネルハイムライン、クイバサーリ、サルパラインですた。
ロシアは、クロンシュタット、オデッサ、セヴァストポリが出てました。

東欧関係なら、チェコのボーダ要塞、ポーランドのヴェステルプラッデ要塞
が掲載されています。
まだ、読んでいませんが。

とりあえず、今日はこんなとこでスマソ。

265 :Su-47信者(狂信的):02/09/06 17:51 ID:???
寮のLAN回線に繋いでもらいますた。料金は
月1500フォリント、速度は400kbpsです。
まああちこち行っていろんな人としゃべったり勉強したり
しないといけないんでなかなかリクエストにはこたえられ
ないかもしれないですが。珍しい写真でもあればウプさせ
ていただきます。

266 :名無し三等兵:02/09/06 20:31 ID:???
>>262
ヴォーバン式というやつですね。
機能第一で生まれた形態なのに美しいですよね。

267 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/07 00:21 ID:1X06kNzN
>266
そうです。アラド、アルバ・ユリア、オラデア、クルージ・ナポカ等いくつも
あります。

268 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/07 20:46 ID:???
>265
おめ!
まぁ、引きこもるよりは、時間を有意義に使いなせぇ。
日本語が恋しくなったらまたおいで。

>266-267
五稜郭ですか。
機能的なものは美しくなると言うことなのでしょうか。
全然違いますけど、フエなんていうのもそうですね。
ルーマニアはフランス軍学の影響が強かったんでしょうか。

269 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/08 23:05 ID:HapsyX/n
眠い人さま
私の行った地域は旧ハンガリー領ですので、築城はハンガリー王国です。
ヴォーパン元帥はハンガリー王国の領土をオスマン帝国から奪還した時期
の方ですから、オスマン側の逆襲に備えトランシルバニアの主要な都市に
彼の築城技術を用いた城を作ったのでしょう。

フエというとベトナムですね。澤田教一氏だったかと思いますが、ベトナ
ム戦争当時の廃墟と化したフエの王宮の写真を写しておられました。

270 :名無し三等兵:02/09/09 00:00 ID:???
ヴォーバンは1633〜1707年頃のフランスの人物ですよね。
東欧の事情はよく知らないのですが案外素早く伝わったのでしょうか?

271 :名無し三等兵:02/09/10 21:43 ID:???
世界史板のスレッドで紹介されていたページ。面白いので・・・。
http://www.okada.de/unchiku/aussiedler/aussiedler.htm#1

272 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/10 23:01 ID:???
>269-270
つまり、150年間要塞の攻防の様相は進歩していないと言うことなのでしょうか。
そう言う意味では、五稜郭なんかは最末期に作られたものなんですかねぇ。

要塞築城術に関しては、フランスが先進国だったのでしょうが、矢張り対トルコ
対策だったのでしょうね。

>271
それが今でも尾を引いているわけで。
そう言えば、オーストリアの方は現政権が瓦解したようですが。


273 :名無し三等兵:02/09/11 00:27 ID:???
>>272
五稜郭が作られたのは19世紀ですが、その頃のヨーロッパでは兵站の発達によって、
こういうタイプの要塞の重要性は相対的に落ちていました。

274 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/11 23:22 ID:???
>273
つまり、日本は謀られたと言うことですかねぇ(w。
役に立たないものを買わされてもって感じなんですかね。

とりあえず、明日早いので、こんだけ。

275 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/11 23:42 ID:0ZX/vwwE
>274
ではなくて、学者が洋書を翻訳して、最新鋭だ!と思っていたら
既に完全に前時代の遺物だったことに気が付いてなかったという
お粗末な話だったかと思います。



276 :名無し三等兵:02/09/11 23:45 ID:???
>>275
ついでに予算かなんかの関係で図面通り作らなかったんじゃないですっけ?

277 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/12 23:10 ID:???
>275-276
建築物については漏れは弱いので…。
良い勉強をさせて頂きますた。


278 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/16 22:28 ID:???
とりあえず息切れかね。
時間が取れなくて、ゆっくり本を読む暇がないずら。

279 :名無し三等兵:02/09/16 22:46 ID:???
ハンガリーのチャバ装甲車なんですけど、あの手の装甲車にはよくある話ですが、
後ろ向きにも操縦席がついています。しかもコイツの後退速度は前進速度と同じ。

そういやストラウスラーがイギリスで1937年に試作していた、
軽戦車の写真を見たのですが、足回りが気持ち悪いっす。
採用はされなかったようですが・・・。

280 :大艦巨砲主義:02/09/17 02:13 ID:???
新スレは何でも即削除
残ったのは新鮮味のない長寿スレとスルーした駄スレばかりのage荒らし
いい板になったねえw


 b               

281 :名無し三等兵:02/09/17 02:31 ID:???
bとは何だすか、騙りはん?

282 :眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/09/18 23:19 ID:???
>279
どこかで見たなと思ったら、八重洲出版の第二次大戦で活躍した世界の軍用自動車
と言う本のドイツの戦闘車両の項目にマンフレット・バイス シュトラウスラ クサバ装甲
車として掲載されていたよ。
隣が、中国陸軍使用のSdkfz.223と言うマニアックな本だけどさ。

しかし、なんでハンガリー向けの装甲車が、ドイツの項目に入っていたのか、小一時間
問い詰めたい気分。
この本によると、4気筒デュアルイグニッションつきツインOHCリアエンジン。
4520×2100×2270ミリ、重量5900kg。
各車輪にステアリングボックスを備え、2輪もしくは4輪ステアリングの独立懸架。

英国の奴は6気筒で120馬力リアエンジン、全輪独立懸架。
殆ど変わらない。
ただ、馬力当たりの重量はこっちの方が勝ってたのかも。

283 :消印所沢:02/09/19 22:08 ID:???
ttp://member.nifty.ne.jp/kaba-maru/afv/hun_l.htm#csaba
 チャバ,詳しいデータはなかった↑

 更新情報↓
ttp://homepage2.nifty.com/kaba-maru/research/hun38.htm

284 :名無し三等兵:02/09/19 22:44 ID:???
>>282-283
軽めの本ですけど、デルタ出版の「世界の軍用車両4」という本では、
ページの上にイギリスという表記がなされていますた。
・・・ま、いいんですけど。

路上速度が65 km/hで航続距離が150 kmというのは他国の同種の車両に劣っている気がしますけど、
矢張り前進5速、後進5速というのは良いですね。エンジン独逸製ですか。
一応。↓
ttp://www.phg.hu/models/botond/csaba.htm

世界史板のハンガリースレッドによると、
装甲車の名前になっているチャバってアッツィラの(伝説上の)息子の名前なんですね。
ついでに対空戦車の名前になっているニムロードは伝説の王の名前。
ズリーニは家名で、トルディは何か英雄物語とかがあるそうです。
んで、トゥランというのは民族名(ちょっと妙な思想に走ってるみたいですけど。)
らしいです。
(こういうのは>>ギシュクラ・ヤーノシュ様が詳しいんでしょうけど。)

>中国陸軍使用のSdkfz.223
カコイイ。

285 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/21 02:11 ID:h70inMDi
>284
そんなことを書いたことがありました。
ズリーニはハンガリー貴族の家名です。
戦車はシゲトヴァール城でスレイマン2世率いるトルコの大軍を相手に篭城した
ズリーニ・ミクラーシュの名前をいただいています。
最期はトルコ軍に城主以下が突撃を敢行して全滅するという壮絶な最期を遂げた
人物で、敗色濃い時期に登場した戦車の名前としては考えさせられるものがあり
ます。ズリーニ一族はクロアチアの太守の家柄でしてクロアチアではニコラ・ジ
ュービッチ・ズリンスキーという名で知られています。

第一次大戦後シベリアを突破して極東に逃れたチェコ軍団の一部が帰国途上神戸
に来たおり、関西学院大学のグリークラブのメンバーが通訳をしたそうです。チェ
コ軍団には軍楽隊もあり、チェコの軍歌をグリーのメンバーは伝授されたのですが
その中に「ウ・ボイ」という曲がありました、グリーのメンバーも歌詞の意味もわ
からず「どうもチェコの軍歌だそうだ」ということで歌いついでこらえたそうです
が、ベルリンの壁崩壊の後、海外の合唱団体との合同コンサートかなにかで披露し
たところ、あわせて歌いだした人たちがいたそうです。それがクロアチアの合唱団
だったことから、ウ・ボイはイヴァン・ザイツ作曲のオペラ「ニコラ・ジュービッ
チ・ズリンスキー」の中の曲で、ズリーニ以下が群がるトルコ軍に向けて城門を開
き、最期の突撃を敢行する場面の曲だと判明したそうです。
世の中には奇縁というものがあるものだと、こういう話を聞くとつくづく思います。

眠い人さま
ウクライナ史読了です。
文中に出てくるボープランというのはヴォーパン将軍のことなのでしょうね。
ドイツ向けというのはマンフレッド・バイスという会社名だけで判断したのでは・・・。



286 :名無し三等兵:02/09/21 02:36 ID:???
>285
「男声合唱の名曲。チェコ民謡と紹介されることもありますが、
実際は旧ユーゴで作られたセルビア語の歌です。」
ttp://www.kufm.kagoshima-u.ac.jp/~freudest/library.html より
ttp://www.kufm.kagoshima-u.ac.jp/~freudest/audio/u'boj288.ram
音程狂っていますがどうぞ。
スレ違いすんまそん。


287 :Su-47信者(狂信的):02/09/21 03:40 ID:???
>マカーの皆様
日本から持っていったCD-Rが逝きました。
このままではデータが溢れると、半狂乱になってブダペスト中を
徘徊したところ一軒だけマックでも使えるCD-R(USB1.0&2.0)
おいてる店をオクトゴンに見つけました。助かりました。
日本からパソコンを持っていくかたがたはくれぐれも故障した時に
替えが効くようなシステムを構築しておくことをお勧めいたします。
ウィナーはいいな・・・・・(ボソッ

288 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/21 22:05 ID:7YXc/c6S
>286
KGのグリーのホームページです。
ttp://www.kg-glee.gr.jp/uboj/
ご参考までに

289 :286:02/09/21 22:49 ID:???
>ギシュクラ・ヤーノシュ様
Thanks!
「グリークラブアルバム」でたしか関学のは聞いたことがあります。
今、せっかく関西にいるのだし、コンサートに行けば聞けるかもしれませんね。


290 :Su-47信者(狂信的):02/09/22 07:41 ID:???
軍事博物館に行って来ました。
でもお目当ての赤軍系の展示は少なめでした。
ただT55/54の撤甲弾と9M-113が廊下に展示して
あるだけでした。写真ありますがいりますか?

291 :名無し三等兵:02/09/22 11:06 ID:???
>>290
勿論いります〜〜〜。

292 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/22 17:09 ID:MW+O0bnY
Su-47信者(狂信的)さま
トゥルディのキャタピラの一部なんか置いてましたよね。
あと、小火器の展示はなかなか面白いのでは。

あの近くには鍾乳洞を利用した地下要塞?も見学できる
のでお暇な時にどうぞ。

あと、フェリヘジ空港の近所に飛行機展示したますね。


293 :Su-47信者(狂信的):02/09/23 06:55 ID:???
すいませんどっかに2メガぐらいのファイルをウプできるアプロダは
ありませんか?

294 :名無し三等兵:02/09/23 13:05 ID:???
>>293
ttp://210.153.114.238/cgi-bin/upload/upload.cgi

295 :名無し三等兵:02/09/23 17:29 ID:???
>>1
語ることなど、何も無い           

296 :ギシュクラ・ヤーノシュ:02/09/23 23:24 ID:caBy8FzU
シゲトヴァール城から最期の出撃をするズリーニ
ttp://www.kfki.hu/keptar/kep/s/szekely/muvek/1871-/zrinyi_k.jpg

ご参考までに・・・。
名前の由来の人物です。

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